よもやま話 1〜20


エッセイ、日記、手紙、etc・・・ 
タイトル横の番号は、古い順です。

よもやま話1〜20 目次

1.あの日の波の音 2005.08.20

2.弟を見なおした夜 2005.08.20

3.掃除 2005.09.01

4.種二題 2005.09.01

5.星が落ちないわけ 2005.09.10

6.抗生剤考 2005.09.20

7.運動会の重箱弁当1(次女編) 2005.10.01

8.運動会の重箱弁当2(長女編)
 2005.10.01

9.家事育児 2005.11.02

10.胎内の記憶 2005.10.29

11.やってみたら? 2006.01.20

12.離職のキッカケ 2006.02.01

13.再就職のキッカケ 2006.04.21

14.憧れの女性 2006.06.01

15.親離れ・子離れ 2006.09.08

16.胎内の記憶2 2006.09.30

17.ライオンは草を食べるか? 2006.12.03

18.Cプラン 2007.03.17

19.空飛ぶ次女 2007.05.18

20.悩める長女 2007.05.18

1.あの日の波の音

 十数年前の4月、私は大学生になり 初めての一人暮らしを始めた。毎夜なかなか寝つけなかったが「慣れないことの連続で緊張してるのかな」とあまり気にとめずにいた。
 
寝つけない日が10日くらい続き、その日もなんだかボーっとしていた。午後は休講だったので、部屋で昼食を食べてそのままウトウトと昼寝をした。1時間くらいたっただろうか。突然「ザザーン、ザザーン・・・」と波の音が聞こえて私は飛び起きた。「えっ、ここどこ? 実家?」 寝ぼけていた頭を2〜3度振ってスッキリすると、波の音だと思ったのは飛行機が飛ぶ音だとわかった。
 
 「そうよね、実家でいつも聞こえる波の音がここで聞こえるわけないもんね」と苦笑いした私は次の瞬間、ひらめいた。「そうだ! 今まで寝つけなかったのは、波の音が聞こえなかったせいだ。ここは実家じゃないから波の音は聞こえない。お父さんもお母さんも弟もいない・・・」私の目からは涙がぽろぽろとあふれてきた。泣いて泣いて、自分でもびっくりするくらい泣いて、涙が止まったときには、スッキリした晴れやかな気持ちになっていた。

 そしてその晩からはぐっすり眠れた。

2.弟を見なおした夜

私が高校生のある日、部活で帰宅が遅くなった。家族みな食事は済んでおり、私は一人分残っていたさんまを焼いた。焼けたさんまを魚焼きグリルから取り出して、「いただきまーす」。
 
 その時うっかり火を消さなかったらしい。食事中にふと顔を上げると魚焼きグリルの通気口から天井まで届く火柱があがっていた。私の頭の中は真っ白になった。ゆっくりと隣室に行き、母と弟に(たまたま父は不在だった)
 「ね、なんか火が出ている」。TVに夢中の二人は私の声が聞こえてもいない。
 「ねえってば。台所に来てよ。火だよ」「もう、いったい何? うるさいなぁ」しぶしぶ母が私と一緒に台所へ来てびっくり仰天「キャーッ」。私「ね、火でしょう。」女二人、立ちすくんで動けなかった。
 
 ここで母の悲鳴に駆けつけた弟が「わっ、なんだこれは。」と叫ぶなりすっ飛んでいって消火器を持ってきて、火を消した。あっという間だった。
 
 私は小さいときからよく「しっかりしている」と言われていて自分でもそのつもりだった。いつまでも幼い(そう見える)弟を内心バカにしていた部分があった。でもこの時、緊急事態に何もできなかったのは私、パッと行動できたのは弟だった。


3.掃除

仲良しママ友が言った。「ネェ、私、1階に住んでるんだけど、誰が掃除したかわからないけどアパートの階段がウチの玄関の直前まで掃除してあって、そこからは明らかにしてなかったのよ。私、今まで全然、階段掃除したことなかったけど、これって『あなたも掃除しなさい』ってことなのかなぁ。」「そこまで掃除したなら、最後までしてくれてもいいじゃん、って思うけどねー。ちょっと何だかなーって感じもあるよね。」
 
 これを聞いて、自分が高校3年生の時の掃除のことを思い出した。
 
私は当時、学校の掃除の時間がいやでたまらなかった。私と、あと一人の女子が教室の掃除をし、他の皆は遊んでいるだけだったから。みなに「掃除しようよ」と呼びかけるのは、いい子ぶってるみたいで嫌だった。黙って掃除し続けていれば、そのうち皆も手伝ってくれるようになるのではと期待していた。しかし二人で掃除する日が続き、2学期になった。
 
 「こんなの、私たちだけ、ばかみたい」私たちも掃除をしなくなった。そうして3日、4日、1週間… それでも誰も掃除しなくて、綿ぼこりや消しゴムかすが汚く床中に散らばって、たまりかねて次の週から掃除を再開したのはやっぱり私たち二人だけだった。クラス担任の先生は掃除時間にクラスに顔を見せたことは一度もなかった。
 
 「なんでみんな掃除しないの?」「いつも二人だけで掃除しているの見ても罪悪感もたないの?」怒りや疑問はふつふつとわいたが、それを直接クラスメートにぶつける勇気はなかった。いろいろ考えるとイライラしてくるので、掃除の時間は思考停止して黙々と手を動かすことにした。
 
 そうして1年が過ぎた。卒業式の日、ある女の子が私にすまなそうな顔をして言った。「とうとう、眠りねずみたちだけに1年間掃除させちゃったね」 私はその時、心の中では「今頃そんなこと言っても遅いよ。そう思ってたならあの時手伝えばよかったじゃない」と言っていた。でも実際は何と返事していいかわからず、曖昧に笑うだけだった。
 
 高校卒業後も、何かの折にふと、そのときのことを思い出すことがあった。クラスメイトはとっくにそんなこと忘れただろうに。
 
 ただ、何度かあの時のことを思い返すうち、周囲への「何で平気なの!?」という苛立ちは、私が勝手に期待して、勝手に裏切られた気になって、それでイライラを増幅させていたことに気がついた。自分は黙ってるだけで、周囲が気づいて変わってくれることを期待したって、無理な注文だったと。でも今考えても、どんな風に働きかければイヤミでなく、かつ皆が積極的に掃除に関わるようになってくれたか、やっぱりわからない。
 
 アパートの1階まで掃除した人は、最後までしないことで「いつも私が階段掃除してるの! あなたもしましょう!」とアプローチしたかったのかもしれない。でも「ちょっとイジワルな感じ」に取られても仕様がない部分もあると思う。一方で、もしその人がいつも掃除をしているのだとしたら、その人はとても偉いし、その人にしてみれば「文句言われる筋合いはない。感謝して欲しいくらい」と思っても、もっともと思う。
 
 こういう時、ユニークにスマートに自分の気持ちを伝えることができる人、そういう人に私はなりたい。どうしたらいいんだろう。難しいなぁ。

4.種二題

 次女Bが3歳になったばかりの頃、ニコニコとおにぎりを食べていたのに、急に変な顔をして、泣きながらぺっぺとゴハンを吐き出しました。
 
B : タネが、おにぎりのタネがはいってた〜 アーン(T_T)
 
 見ると干からびたご飯粒が。私がジャーから直接パッパとつくったおにぎりだったので、ジャーの端っこについてた、干からびたご飯粒が混じってしまったようです。あっはっは、おにぎりのタネか〜、と大笑い。
 
 
 その翌日、ニコニコと肉団子を食べていた次女が、急に変な顔をして、泣きながらぺっぺと肉団子を吐き出しました。
 
B : タネが、肉団子のタネがはいってた〜 アーン(T_T)
 
 へ? 肉団子の種??? 試しに他の肉団子を食べてみると、確かにコリコリした食感がありました。それは、夫のお弁当用に買った冷凍食品の肉団子で、チンすればいいだけのものでした。パッケージを見ると「本格派、軟骨入り!」とありました。くっくっく、今度は肉団子のタネね〜、とまた大笑い。
 
 おにぎりの種と肉団子の種・・・ ウチのプランターに植えたいわ〜♪

5.星が落ちないわけ

私が看護師をしていた頃のこと。日勤の時は、長女Aは朝から夫の両親宅に連れて行き、そこから保育園に登園、夕方は夫の両親に迎えに行ってもらって、夕飯を食べさせてもらっていた。
長女が本当の自分の家に帰るのは19:30とか20:00。
 
 ある日、いつもの日勤の後、夫の両親の家から自宅に、てくてく歩いて帰る道すがら、長女が私にうれしそうに言った。
 
A : ママ、Aちゃん、どうしてお星さまが空から落っこちないのか
   わかったよ。
 
眠りねずみ : ふうん。どうして?
 
A : あのね、お星さまは、こうやってぎゅーってお空につかまって
   いるから、だから落っこちないんだよ。
――そう言って、コアラみたいに、私にぎゅ―っとしがみついた。
 
眠りねずみ : そっかー。ママ知らなかったよ。Aちゃん、よく
         わかったねぇ。いいことに気づいたねぇ。
 
A : うん。
 
 そうして、手をつないで、2人で星を見上げながら、家に向かった。
 星がとてもきれいで、家につくのがもったいなかったあの夜。
 


6.抗生剤考

【眠りねずみが仕入れた知識】
抗生剤は細菌には効くがウイルスには効かない。抗生剤が標的にするのは細胞壁やリボゾームなどで、これらはウイルスにはないから。
 ウイルス性の感染、特に子どもがよくかかる風邪のたぐいに抗生剤を使うのは、意味がない。意味がない以上に、抗生剤は、人体に有益な(もともと存在する)腸内細菌を殺してしまうので、下痢を引き起こしたり、新たな感染を引き起こす危険性もある。さらに、抗生剤の乱用で次々と新たな耐性菌ができて、大きな問題となっている。
 咽頭炎などの細菌感染性の風邪には、もちろん抗生剤は効果あり。
 
【近所の小児科Drの意見】
 インフルエンザには抗生剤は効きませんよ。インフルエンザと確定したら、タミフルを出します。
 明らかに細菌性の風邪の場合は、抗生剤と、痰が切れやすくなる薬、咳止めなど風邪の症状を押さえる薬を出します。場合によっては解熱剤の坐薬も。
 ウイルス性の風邪が流行っていて、たぶんウイルス性の風邪だろうという場合は、痰が切れやすくなる薬、咳止めなど風邪の症状を押させる薬や解熱剤を出します。抗生剤は出しません。
 ヘルパンギーナもウイルスだから、抗生剤は出しても意味ないです。解熱剤とトローチだけで様子を見ましょう。
 
【近所の耳鼻科Drの意見】
 オレはタミフルは嫌いだ。いろいろ問題になってるじゃん。だからインフルエンザでもタミフルは出さないよ。この病院にはインフルエンザかどうか調べるキットもないし、タミフルも置いてない。タミフルなんて、前はなかったんだよ。それでもたいていちゃんと抗生剤とか他の薬で治っていったんだ。タミフル使わなくても、治るんだから。
 
 ウイルス性の風邪には抗生剤は効かないはずって? うん、そう言われてるね。でもココでは熱が出たら抗生剤を出すよ。抗生剤の種類は変えるけど。偉い先生たちが「ウイルスには抗生剤は効かない」って言うけどさー、実際臨床で診た感じでは、抗生剤あげたほうが早く治っていくんだもん。それに、もともとウイルス性の風邪でも、それにかかって体力が落ちている時に別の細菌ひろってしまって、細菌性の風邪も続けてひいちゃうこともあるでしょう? 抗生剤あげてると、そういうことも防げるわけだし。
 
 大体ね、ウイルス性か細菌性かの判断は、「今、こういうタイプの風邪が流行ってる」っていう情報と、患者の症状と、それで判断するんだよ。ほとんどの場合は風邪の原因がどんな菌かウイルスか正確に同定するための培養検査なんてしないし、したとしても検査結果が出るまで2〜3日とか1週間とかかかるから、その間、何にもしないわけにはいかないからね。だからウイルス性と判断しても実は細菌性ということもあるわけよ。
 
 抗生剤以外にも痰が切れやすくなる薬やアレルギー症状を抑える薬、解熱鎮痛剤も出すよ。咳止めは出さないけど。咳はね、出さなきゃいけないの。咳で痰を出さなきゃ。咳を抑えて痰がたまったら、そこから肺炎になっちゃうよ。
 
【眠りねずみ家の子どもの実際】
 子どもが「コレは明らかにインフルエンザ・・・」という症状だったら、近所の小児科に行ってタミフルを処方してもらいます。
 それ以外の風邪だったら、近所の耳鼻科に行って抗生剤はじめ症状を抑える薬を出してもらいます。
 
《その理由》
1.長女が乳幼児の時は私が仕事をしていたので「一日でも早く治ってもらわないと、困る」という気持ちがありました。
  「私が専業主婦だったら、風邪くらいなら、死にそうなくらい悪くならない限り病院には行かずに、食べ物に気をつけたり部屋を加湿したり、そうして1週間〜10日かけて、風邪とつきあったほうが、免疫は鍛えられるんだろうけどなー」と思いながら。
 
2.次女は若年性関節リウマチなので、高熱が出ると関節症状が出て痛がります。その姿は可哀想で、親としてはとにかく関節症状が出ないようにしたい。
  また、高熱をきっかけに若年性関節リウマチが悪化したらと思うと怖いので、少しでも早く熱が下がるように、今、熱がなくてもこれから熱が上がらないように、できることはなんでもしたいという気持ちがある。
  免疫調整薬であるメソトレキセートを飲んでいるので、免疫が他のヒトのようには働かないから。
 
3.夫は子どもが風邪をひいた時はもちろん、ちょっと鼻水を出した位でも「早く病院に連れていけ。かわいそうだ。」という人なので、「何でもいいから早く治るようにしてやれ」と強く主張する。
 明らかに、小児科に行ったときよりも耳鼻科に行った時のほうが、子どもが楽そうだし(風邪症状が抑えられてる感じ)、治りが早い(小児科は胸の聴診と打診、ノドの診察だけなのに比べて、耳鼻科は鼻の洗浄、鼻やノドからの吸入がある、ということも影響しているとは思うけど)。そこで夫は「耳鼻科連れていけ、耳鼻科」となる。
 
4.長女が乳幼児でなくなり小学生になった時に私が専業主婦になった
  ので、(若年性関節リウマチの次女はともかく)長女なら「風邪くらい
  ならDrに診せずに家で治るのを待つ」のにつきあうことができる。
   そこで本人の意思を聞いたら「Aちゃん、我慢するの苦手だし、
  きついのはイヤ・・・ だからいつもの耳鼻科に行く。」とのこと。
 
 
 私は抗生剤の使用に関して、知識から選び取るはずの正解と、実際の行動が大きくかけ離れています。それはわかっています。でも、現時点ではこれが我が家の選択です。
 
 ちなみに夫は「仕事を休めない」という理由で、私は(外で働いていてもいなくても)「ハハオヤは寝込めない」という理由で、やはり風邪をひいたら即、抗生剤です。

7.運動会の重箱弁当1(次女編)

 先日、次女(幼稚園年少組)の運動会がありました。夫は仕事のためこれませんでしたが、夫の両親が見に来てくれました。だからお昼ご飯は、私(30代),長女(小6),次女(3歳),義父母(70代)の分が必要でした。
 
で、三段重の中身は以下の通りです。
一段目:おにぎり(梅干)←義父が好き
 おにぎり(たらこ)←長女が好き
     混ぜ込みおにぎり(しそわかめ,ゆかり)←次女が好き
     おいなりさん(市販の味付き揚げに、市販のちらし寿司のもとを入れたご飯を詰めただけ)
二段目:野菜の豚肉巻き(アスパラを巻いたもの,人参を巻いたもの),
     コロコロ煮込みバーグ
     (茹卵/うずらの卵、をいれたハンバーグを焼いて鍋に移し、ケチャップとソースで少し煮込む)
     鶏唐揚げ,青菜入り卵焼き(茹でた便利菜の葉先を刻んで卵に入れて焼きました),
     プチトマト
三段目:チンゲン菜のおひたし,
     プルーン入りきんとん
     (サツマイモを茹でてつぶし、砂糖と牛乳を少し入れて練り、最後に刻んだプルーンを入れる),
 春巻き,ポテトコロッケ(冷凍食品を揚げただけ),
デザート:梨,みかん
お茶:凍ったペットボトル500ml×2本,500ml入りのマホービン1本
 
義母より
 サンドイッチ(卵,ハムチーズ,ジャム,ツナマヨ+レタス),煮しめ,
 
 お弁当は余りました。。。 お茶は完全になくなりましたけど。夕食も同じものを食べました。運動会でクタクタになりましたから、ちょうどよかった(?)です。
 
 私、手際が悪くてトロいので、前日夜にある程度の仕込み(お米を研ぐ,野菜は塩胡椒した豚肉に巻いて後は焼くだけにしておく,コロコロバーグ用にうずらのゆで卵を作って殻はむいておく,ハンバーグの生地も作っておく,卵焼きに入れる青菜も茹でて刻んでおく,唐揚げ用鶏肉に下味をつけておく)するのに23:00〜0:30までかかり、当日は朝4時に起きてすぐに作り始め6:30までかかりました。
 
 運動会弁当を作ること自体は、苦痛ではありません。「運動会だナァ」と、ワクワクして楽しい。
 
 でも、楽しいから疲れないかというと、そんなことはありません。やはりくたびれます。だから、仕事があったり、事情があって運動会弁当が作れない人を非難する気には、とてもなれません。
 そういうお家に対して「子どもの運動会の弁当も作らないなんて」とおっしゃる年配の方や、ヨソのご主人を見ると、喉元まで「本当にそう思うなら、あなたが作って差し上げればいかが?」という言葉が上がってきます(小心者なので口をついては出ない)。
 
 運動会に子どもが無事参加できた喜びを感じ、成長していることを実感し、皆で輪になって「お腹すいたね、おいしいね。」と食べることができれば、それでもう十分だと思うのです。

8.運動会の重箱弁当2(長女編)

 今度、長女(小学校6年生)の運動会があります。だからお昼ご飯は、夫(40代),私(30代),長女(小6),次女(3歳),義父母(70代),夫の祖母(90代)の分が必要です。
 
で、三段重の中身は次のようにするつもりです。
一段目:おにぎり(梅干)←義父が好き
 おにぎり(たらこ,塩むすび)←長女のリクエスト
     混ぜ込みおにぎり(おむすび山を適当に使って)←次女が好き
二段目:コロコロ煮込みバーグ(うずらの卵入り) ,鶏唐揚げ,←前回と同じ。長女のリクエスト
     人参のグラッセ,
     海苔巻卵焼き(全形のりを巻き込みながら卵を焼く)←長女のリクエスト
     マグロの漬け焼き
     (マグロブロックをサイコロ状に切り、前日の夜に醤油と酒に漬けておく。これを当日朝、マーガリンで焼く)
ウインナ(タコ,カニに細工)
三段目:レーズン入りきんとん←前回のプルーンをレーズンに変えただけ。長女のリクエスト
 プチトマト,筋なしインゲンの胡麻和え,ピーマンのきんぴら,
 
デザート:梨+何か適当に買う
お茶:凍ったペットボトル500ml×3本,500ml入りのマホービン1本
 
義母から(予定)
 赤飯,煮しめ
 
 小学校最後の運動会か・・・ と思うと感慨深いものがあります。
もう一度、朝4時からの弁当作り(正確には前夜からの仕込みも含めて)、ガンバルゾー!

9.家事育児

先日、夫に「主婦の仕事って、締め切りはないし、頑張っても報酬があるわけでもないし、誰にほめられるわけでもないし・・・ いつやってもいいことは、ついつい先伸ばししてしまいがちになるから、ちょっとでも自分に気合入れるために、自分なりに『2階の掃除機は今日か明日中にかける』とか締め切り作って、紙に書いて、するようにしてる。」という話をした。
 
 そしたらフンと馬鹿にしたように鼻先でわらって「報酬がほしいの? 報酬がないとできないんなら、あげようか? ノルマひとつしたら500円とか。そしてオマエのものは、そのお金から買ってもらうようにしようかね。そしたら、本当に家政婦さんと同じだね。」と言われた。
 
 私は、あぁ、この人は私が感じた虚しさや、でもそのなかで気持ちを奮い立たせようとしたガンバリをわかろうという気持ちは全然ないなぁ、私が、家族のためにと思ってそれなりに頑張ってやっている家事全般や育児は、この人にとって「して当然のこと」であり、「不十分だったら文句を言うべきこと」であり、「感謝すること」や「認める、尊敬すること」ではないんだな、と思って、悲しくなった。
 
 九州の男の人だから仕方ないのかな、と思いつつ、こういうことでむなしい気持ちになるたび、「何かのキッカケで離婚したら、二度と結婚しない」と心に誓う。別に九州の人でなくても、男の人って、「結婚したら、奥さんがゴハン作ってくれて、部屋を片付けてくれて、洗濯もアイロンかけもしてくれるのがあたりまえ。子どもが熱出した時は妻が看るのが当たり前。」って思っている(それが専業主婦でも共働きでも)と思うから。
 
 私は家事をこなすのはそんなに嫌いじゃないけど、大好きというほど好きでもない。「家事一切をすべて妻がやることに何の不満もない」と言えるほど、家事をテキパキとこなせるわけでもないし、心も広くない。
 
 こんな私でも、もし本当に離婚して、そのあと再婚しなかったら、「ご主人のことが忘れられないのね。」と周囲の人は言うんだろうな、きっと。クックック。

10.胎内の記憶

 みなさん、自分がお腹の中にいたときの記憶ってあります? 私は全くありません。
 新米ママのある日、とある本で「4歳くらいまでは胎内の記憶がある」というのを読んで、わたし、ワクワクして長女に聞いてみました(当時長女3〜4歳)
 
私 : Aちゃん、ママのお腹の中にいたときのこと、憶えてる?

A : しらなーい。

・・・終了。
 
 我が家の子どもは憶えちゃいなかった、と、ちょっとガッカリしました。でもまあ、現実はこんなもんかな、と。
 
 そして月日は流れ、長女8歳/小学校2年生、次女がお腹の中にいる時、ある日のこと。確かAと私がお腹の赤ちゃんの話をしたか、Aが私のお腹をさわったか、そんな流れの中でだったと思いますが、私が聞きもしないのに、Aがふと、言ったのです。
 
A : ママ、私、お腹の中にいた時のこと憶えてるよ。

私 : (ははーん、学校で習ってきたか、何か読んだな)
   ・・・あら、そうお。どんなだった?

A : あのね、キュウリと茄子の千切りがいっぱい目の前を飛ん
でたの。

私 : キュウリと茄子の千切り!? 何それ? どこで習ったの?

A : (不思議そうな顔をして)? 習ってないよ。憶えてるって
言ったでしょ。
   Aちゃんの目の前をね、いっぱい飛んでたの。
グルグルーって。
 
 あまりの面白さに息を呑みました。面白い。面白すぎる。キュウリと茄子の千切り! オリジナリティありありだ。これが「体育座りをしてた」とか「暗かった」とかなら、誰かに習ったな、と思うのだが。
 
 ・・・しかし、キュウリと茄子の千切りって一体なんだ??? 何か、夜に見た夢と混同したのかナァ?
 後日、妊婦健診のとき、助産師さんに笑い話として、紹介しました。
 
私 : 先日、長女がこんなこと言ったんですよー

助産師さん : あらー。そうですかー。Aちゃん、本当にそれを見ていたのかもしれませんねぇ。

私 : はぁ!? だって、キュウリと茄子の千切りですよ。一体
何のことだか。
   それに赤ちゃんってお腹の中ではまだ目が
見えないでしょう?

助産師さん : 目は見えますよ、たぶん。だって生まれてすぐも、しっかり見ていますもの。
  それに、キュウリと茄子の千切りっ
て、臍帯のことじゃないかしら?
  私は真っ先にそう思いました
けど。動脈と静脈が、こう、ネジネジっとなってますから、Aちゃんの目からは、色違いの千切りみたいに見えたのかも。
  生まれる前のことを憶えてる子、結構いますよー。
 
 少しも動じず、Aの話しを疑う様子を見せず、ニコニコと話す助産師さんを見てて、私はゾワワーっと鳥肌が立ちました。ほんまかいな・・・
ヒエーッ・・・
 
 これを書いたのをキッカケに現在3歳のBにも聞いてみました。
 
私 : Bちゃん、ママのお腹の中にいたときのこと、憶えてる?
B : おぼえてなーい。
・・・終了。
 
 でも数年後、何かのキッカケで思いがけないことを言い出すかもしれませんね。ひそかに楽しみ。 

11.やってみたら?

 先日、某TV番組の中で「頚椎損傷の女性が、隣人に毎日6時間、2年間リハビリをしてもらい、歩けるくらいに回復した」というのがあったので、たいそう驚きました。 

 で、思ったのですが、
1. 今まで頚椎損傷でここまで回復した例はないって、そもそも、頚椎損傷の人に毎日6時間ものリハビリを
 2年間も実施した例がないんじゃ???
 
2. 50歳の女性が70歳まで20年間生きるとして、「彼女が2年間の入院生活を送り、その間、毎日6時間、
 専門職によるリハビリを受け、その後退院して死ぬまで毎日2時間の訪問看護を受けたときにかかる費用」
                   VS
「20年間をずっと病院で寝たきりで過ごした場合にかかる費用」
では、どちらが多くかかるのだろう? 本人が負担する費用ではなく、単純にかかる費用として。
 
3.寝たきりのほうがお金がかかるなら、国の方針として、もっとバリバリ、リハビリをすればいいじゃないか!!!
 (本当は、本人の人生の質のためにも、幸せのためにも、回復する可能性があるならバリバリ、リハビリすれば
 いいじゃないか! と言いたいけど、国は人生の質や幸せのためには動かなくてもお金のためなら動くだろう
 からこういう主張にしてみました。)
 
4.もし、寝たきりの方がお金がかかるなら、そして頚椎損傷の人に、2年間、毎日6時間のリハビリを実施した
 報告がないのなら・・・
 以下私の妄想。
  @ 試しに30人くらいの頚椎損傷の人に毎日6時間2年間リハビリをしてみて、回復する人が何%くらいか
   確認する。
 同時に、回復する人が何%以上なら、寝たきりVSリハビリで、リハビリが安上がりになるか計算する。
 
→Aa おぉ! 車椅子程度まで回復したのは○%だったから、これなら経済的にも『リハビリの方が
    安上がり』になるから、すべての頚椎損傷患者さんに1日6時間リハビリのプログラムを組むべきで
    ある、となる。
  →Ab(1人でも車椅子程度まで回復した人がいた場合)
車椅子程度まで回復したのは○%だから、これでは経済的には、「リハビリの方が安上がり」にはならない→だがしかし、実際に回復が見られた例があったということ、こういう研究したことを積極的に報道→成果が見られるかどうかわからない研究に果敢に取り組んだ政府はエライ、日本はすごい、と世界的に報道
(→頚椎損傷患者さんの人生の質が大きく変わる可能性があるのなら、もっと多くの頚椎損傷患者さんに1日6時間リハビリのプログラムを組むべきである、と世論がなる、かもしれない)
  →Ac(回復した人が1人も出なかった場合)
こういう研究したということを積極的に報道→成果が見られるかどうかわからない研究に、人道的見地から果敢に取り組んだ政府はエライ、日本はすごい、と世界的に報道(→今回の研究では、これだけの数でしか取り組めなかったがもっと多くの例で研究してみたら成果が上がるかもしれない、もっと多くの頚椎損傷患者さんに1日6時間リハビリのプログラムを組むべきである、と世論がなる、かもしれない)

12.離職のキッカケ

 第一子を妊娠した私は、22歳だった。
 大学卒業と同時に結婚し、引越しし、就職した。就職して半年後に妊娠するという、計画性もなーんにもない、若い(アホな)社会人だった。
 
 就職先の面接の時、こう聞かれていた。
 
相手 : 眠りねずみさんはご結婚が予定されていますが、お若いし、結婚してすぐには、
     お子さんは作りませんよね?
 
眠りねずみ : はい、3年はそういうこと(出産)はないと思います。
 
相手 : それなら結構です。いやね、すぐにお子さんが出来て、辞めるとか、産休とか、
     そんなことになったら、困るん
ですよ。
 
 今から10年以上前の話だ。その時点でも、こういうことをあからさまに言う人もいかがなものかと思うが、私もノンキだった。このようなことを言われても「あぁ、管理職の側からすればこういう心配ももっともだなぁ」と思ったし、子どもは、欲しいとも欲しくないとも、特に考えていなかった。
 
 就職して、仕事は面白い反面やっぱり大変なこともあって(当たり前だ)、ある時、私はふと投げやりな気持ちになった。「あーあ、子どもでもできれば、一旦、仕事から遠ざかれるのになぁ。」なんて横着な、浅はかな考え。
 
 でもまぁ、とにかくそう思った私は「仕事を続けるためには、子どもが出来ないように、しっかりきっちり気をつけなきゃ。」という気持ちが薄れた。気持ちが薄れて、「気をつける」行動もいい加減になって、その結果、妊娠した。
 
 妊娠した私は、妊娠がわかると同時に切迫流産しかけていることがわかった。医師に「本当は入院してもらいたいんですよ」と言われたが「家で安静を守りますから。」と約束して、自宅安静2週間の診断書をもらい、職場に提出した。
 
 急なことで周囲の人に迷惑かけたなぁ、と申し訳なく思い、面接の時の約束破っちゃった、という後ろめたさはあったものの「子どもは授かりものだし、授かったものは産まなくちゃ」と思った。切迫流産しかけていると思うと余計に小さな命がいとおしく思え、「何とかまだお腹にいてちょうだい」と祈った。
 
 危機を脱し、安定期に入ると、「産休、育休の手続きをしなくちゃ」と思った。私は、「産休育休は当然の権利だから、希望すれば取れるもの」と考えていた。切迫流産しかけて育児に対して不安がより大きくなったし、初めての子育てだから何にもわからないし、育休は取れるだけ、取りたかった。
 
 無知で、無礼で、実績も先見性もないくせに(ないからこそ)、臆病で、安心を欲しがった私。しかし1年間の育休を欲しいと申し出たら、断られてしまった。
 
眠りねずみ : 産休後、育休は1年間下さい。
 
管理職(就職の際面接した人) : 産休はあげますが、育休はダメです。産休後、すぐに復帰してください。
 
眠りねずみ : でも私、育休が1年間欲しいんです。不安なんです。
         いただけないんなら、仕事を続けられません。
 
管理職 : 育休はあげられません。
 
眠りねずみ : 育休なしで仕事を続けていく自信がありません。
 
管理職 : それならお辞めいただいても結構です。育休はあげられません。
 
眠りねずみ : 育休がないなら私、仕事辞めます。
 
管理職 : はい、わかりました。では後で辞表を提出してください。
 
 ほとんど、売り言葉に買い言葉だった。自分でもあれよあれよと思っている間に引っ込みがつかなくなって、私は辞めることになってしまった。
 「私、本当にやめるんかいな。。。」とボーゼンとしていたら、翌日の朝礼の時、みんなの前で、管理職の方が「この度、眠りねずみさんがお辞めになります。」と発表した。みんなビックリした顔で振り向いた。私もビックリして、とっさにもごもごと「短い間ですがお世話になりました。」と言った。
 
 朝礼後、直属の上司が「ちょっと眠りねずみさん、どういうこと!? 私、全然聞いてないわよ。」と事情を聞きに来た。
 
 眠りねずみ「スミマセン、言ってないですもん。。。」と私がことの経過を報告すると、
 
直属の上司 : 何てこと。何で私に最初に相談しないのよ。
 
眠りねずみ : だって私も辞めるつもりなんてなくて、「産休と育休を下さい」って言いに行っただけの
        つもりだったの
に、いつの間にか辞めることになっちゃってたんです。。。(T_T)
 
直属の上司 : ・・・それにしても、みんなの前で発表されちゃったから、もうどうしようもないわ。残念ね。
 
眠りねずみ : 仕方ないです。いいです。育児が一段落したら、またどこかに就職します。
 
 こうして私は、仕事を辞めた。

13.再就職のキッカケ

 彼女はこう言った。
 
 すぐにでも就職した方がいいわよ。あなた、若いから、自分も年取るってこと、考えてないでしょう。
子どもの手が離れたらって、いつ? 子どもが成長したら、自分も年をとるのよ。そして自分の両親も年を取るのよ。
 
 私を見てごらん。私もあなたと同じように「子どもの手が離れたら」って考えてた。子どもは2〜3人と思ってたけど、なぜか2人目は授からなかった。まだかな、まだかな、と思っているうちに子どもは中学生になって、「もう、我家は一人だな」って諦めもついたし、「子どもの手も離れた」と思って、再就職しようと思って、この研修に参加した。
 
 そしたら、研修始まって1週間して、同居している義父が脳梗塞で倒れて、入院した。
 退院後は介護が必要になるから、もう、再就職は無理。研修も途中で辞めようと思ったけど、義母も夫も「せっかく始めた研修だから、最後まで行きなよ」って言ってくれるし、研修だけは最後まで受けることにしたの。
 
 これを聞いて「そうだ、今すぐにでも就職活動を始めなくては」と、私は強烈に思ったのだった。
 
――事の起こり――
 私は以前「子どもは2〜3人、末子が3歳くらいになったら再就職」と考えていたが、どうやら「我家は子どもはひとり」ということになりそうだ、と諦めた。子どもが1人なら、3歳まで再就職を待つ必要もないかもしれない。
 
 「次は看護師として働きたい」これはハッキリしていた。
前職で高校の衛生看護科教員として教え始めてすぐに、自分に臨床経験がないことが苦しくなったからだ。
 
 ほとんどの場合、生徒はまじめに授業をうけていた。それでも昼食後の5時間目とか、難しいところの解説とか、そういったところで居眠りをしたり、退屈そうな顔をしたり、そんなこともあった。そんな時、
「私が学生の時、実習でこんな患者さんがいてね」とか
「私の友人が看護師をしていて、こんなことがあったんだって」とか、
具体的な話をすると、てきめん生徒の目はきらきら輝き、身を乗り出して私の話を聞いたのだ。
 
――自分に経験がないから、話せるネタもこれっぽっちしかないのに、それでも現場の話はこんなに一生懸命聞くんだなぁ。
――そもそも、自分に経験があれば、授業も、もっと具体的な内容を入れたり、生徒にわかりやすいようにできるのかもしれない。
――生徒に申し訳ないなぁ。一生、看護教育に関わっていきたいけれども、そのためにまず臨床経験が必要だ・・・
   何らかのきっかけでこの職場を辞めたら、次は臨床に出よう。
 
 やがてひょんなことから、その職場を去った。その後出産し、子どもが1歳過ぎて、「再就職の時期ははっきりしないが、再就職時は看護師」と考えている時、看護協会が「離職看護師の再就職支援研修」を実施することを知った。現場に出たことがなく、技術に全く自信がない私はこれに飛びついた。「すぐに就職するわけではない。いずれ役立ちそうな研修だから」「2週間だから」と夫の両親に頭を下げ、研修中は子どもを見てもらうことにした。
 
 参加者は「看護師として数年働いて、結婚あるいは出産で仕事を辞めて、子どもの手が離れたから再就職を考えている」という30代後半〜40代の人が多かった。24歳で、臨床経験のない私は異色だった。
 
 座学、参加者同士のグループワークや演習、病棟での実習。。。 久しぶりに子どもと離れて勉強していることもうれしかったし、昼食時に数人で輪になってお弁当を食べながら雑談をするのもうれしかった。
 
 この昼食時の雑談の時、私は「いつ就職するかは決めてないけど、もう少し子どもの手が離れたら、就職したい。」と話した。すると、参加者の一人がこう言った。
 
 すぐにでも就職した方がいいわよ。あなた、若いから、自分も年取るってこと、考えてないでしょう。子どもの手が離れたらって、いつ? 子どもが成長したら、自分も年をとるのよ。そして自分の両親も年を取るのよ。
 私を見てごらん。私もあなたと同じように「子どもの手が離れたら」って考えてた。子どもは2〜3人と思ってたけど、なぜか2人目は授からなかった。まだかな、まだかな、と思っているうちに子どもは中学生になって、「もう、我家は一人だな」って諦めもついたし、「子どもの手も離れた」と思って、再就職しようと思って、この研修に参加した。
 そしたら、研修始まって1週間して、同居している義父が脳梗塞で倒れて、入院した。退院後は介護が必要になるから、もう、再就職は無理。研修も途中で辞めようと思ったけど、義母も夫も「せっかく始めた研修だから、最後まで行きなよ」って言ってくれるし、研修だけは最後まで受けることにした。。。
 
 彼女の話に私は衝撃を受けた。「自分も年を取る、両親も年を取る。」なんて考えたこともなかった。ビックリしている私に、参加者は口々に言った。
 
 「経験なくても、今なら若いから、雇ってもらえるわよ。経験なくて年齢も上がったら、就職は難しくなるわよ。」
 
 「若いうちは夜勤でも何でも無理が利くのよ。トシとると、ほんとに体力的に辛いんだから。1歳でも若い方がいいわよ」
 
 「本当の意味で『子どもに手がかからなくなって』と思ってたら、小学校高学年とか、中学校まで待たなきゃいけないわよ。1歳が2歳になっても3歳になっても、やっぱり手はかかるのよ。3歳で就職するつもりなら、今就職しても一緒よ。」
 
 「一旦就職して、その途中で親の介護とかの問題が出たら、なんとか、働きながらの対処方法を考えられるけど、就職していないうちに介護とかの問題がでたら、もう、就職そのものが出来なくなるわよ。」
 
 私は、ますますショックを受けた。将来「子どもの手が離れたら再就職」と漠然と考えていたが、自分が描いていたイメージが「子どもは成長し、自分は今の年齢(24歳)のまま、両親も今の元気さを保ったまま」であることに初めて気づき、恥ずかしくなった。
 
 そして「そうだ、みんなの言うとおりだ、出来るだけ早く就職しよう。」と決意した。
 決意後はとにかく行動した。ナースバンクに登録し、驚く夫と夫の両親を必死に説得し、年度途中の、「1月から採用」の病院の面接を受け、保育園の手続きに奔走し、勤務することになった。研修終了後、3ヶ月が経っていた。
 
 「その時、私の人生の歴史が動いた」のである。

14.憧れの女性

その日、私はカカトにクリームを塗っていた。20代のころは自分のカカトがつるつるか、乾燥しているか、そんなことを気にしたこともなかった。気にならなかったということは、多分カサカサではなかったのだろう。
 せっせとクリームを塗る私を見て、4歳の次女Bが「私もクリーム塗りたい」と言い出した。
 
私 : お母さんはカカトがカサカサだから(クリーム)塗るの。Bちゃんはすべすべだから、ぬらなくていいのよ。
B : ふーん、じゃ、大人になったらぬれるね。
私 : イヤ、大人になってもカサカサにならない方がいいよ。カサカサじゃないなら、クリーム塗らなくていいんだよ。
B : いやー、Bも大人になったらクリーム塗る〜。
私 : カサカサにならない方がいいって。
B : いやー、なるー! カカト カサカサになるー!! カカト、カサカサになって、ママみたいにクリーム塗る〜!
   ワーン。・゜゜(>_<)゜゜・。
私 : わかったわかった。Bちゃんも大人になったらカカトカサカサになってクリームぬろう。

B : うん(^o^)
 
――あぁ、私はBにとって憧れの女性なのだ。
 私が化粧をしているのは(たとえそれがシミ隠しだったとしても)かっこよく見えるのだろうし、
 私が料理をしているのも(心の中で「メンドくさいなー」と呟きながらトントンしていたとしても)かっこよくみえるのだろうし、
 私がカカトにクリームを塗るのも(たとえカカトがカサカサだったからだとしても)かっこよくみえるのだろう。
 彼女はいつか知るだろう。化粧しないでいい若い肌の方が美しいことを。母が毎日している料理に、時に手抜きがあることを。カカトにクリームを塗るのは決してかっこよくないことを。
 
 それを知った時、それでも私は彼女にとって「憧れの女性」でいられるだろうか。
 ・・・たぶんいられる。私は今、人生を楽しんでいるし、これからも楽しめると思うから。←半分自己暗示(@_@)・・・

15.親離れ・子離れ

 何気なく洗面所に行った私は、風呂上りの長女(中1)とバッタリあった。
 長女の目が真っ赤。
 
 思わず「どうしたの?」と言ってしまった。
 (心の声)あぁ、私のバカバカ! 「どうしたの」って、聞くまでもないでしょ!? 
 もっと他に、何かこう、言葉選べるでしょ!?
  なんちゅー無神経な・・・ 
 こう聞かれて、素直に「泣いてた」とか
言う訳ないよね。
 
長女「・・・お風呂で泣いてた」
 
私(心の声)ひゃー、面食らったか、素直に「泣いてた」ってでたよ!!
(ホントの声)「んー、そう。・・・聞こうか?」
 
長女「いや、いい。」
 
私「そうか。・・・解決、しそう?」
 
長女「もう解決した」
 
私「そう。そんならよかった。」
 
長女「うん」
 
 これで話はお終い。
 
 私は心中穏やかではなかった。「どうしたの? 何があったの?」と根掘り葉掘り、聞きたい気持ちだった。
 小学校の時は、こんな時、コチラが聞かなくても自分からいろいろ話して「お母さん、どう思う?」「どうしよう」と相談してきてくれたんだけどな。
 長女の様子がおかしいのに気づいて、私が「どうしたの?」と水を向けたら、あれこれ胸のうちを話してくれたんだけどな。
 
 でも、今日の長女は明らかに違った。
 「自分で何とかする」「お母さん、詮索しないで」
と声に出してこそ
言わないけれど、表情で、からだ全体で私を拒絶していた。
 
 ・・・こうやって、だんだん親が知らないことが増えていって、そして私から巣立っていくんだろうなぁ。それはそれで、いいことよね、うん。
 
 でも、気になるなぁ。本当に大丈夫かしら? 自分で考えたり、友達に相談したりして何とかなるものなら いいけど・・・
 この子が自分で考えたって(人生経験が少ない分)そう名案がすらすらでてくるとも思えないし。
 不器用だから、友達に上手に相談できるかどうか。それに相談したって、友達も この子と似たりよったりの知恵しか出ないだろうし(そりゃそうだ、同じ中1だもの)
 
 友達関係とかの、正しい(?)中学生らしい悩みならいいけど、いじめられたり、恐喝されたり、誰かにセクシャルハラスメントを受けたり、そんなんじゃないよね!? そういう時は、ちゃんと相談してくれるよね!?
 
 あぁ、これじゃ私、バカ親だ。。。
 
 信じよう。
 
 子どもはちゃんと、成長しているんだ。私も子離れしなくちゃ。

16.胎内の記憶2

以前「胎内の記憶」で、長女の胎内記憶をご紹介しました。
 
 長女は「お腹のなかにいるとき、キュウリと茄子の千切りがグルグルと目の前を飛んでいた」と話したのです。
 
 次女が3歳の時、胎内記憶について聞いたところ、「おぼえてなーい。」ということでした。
 ところが、4歳8ヶ月のある日、彼女も胎内記憶(?)について話したのです!
 
 何に対しても「何で? 何で?」と聞く次女にうんざりして、私はほとんどの場合いいかげんに、あるいは大人に話すように(わかりっこないと思いながら)答えていました。
この時も、そうでした・・・
 
B : ママ、Bちゃんの足の裏、ココ(土踏まず)がひっこんでるよ。何で?
 
私 : あぁ、それはね、アーチ構造といって重さに耐えられる構造なのよ。
   ここがこう曲がっていると、重い体重を支えやすいの。
(わかりっこないと思いながら言いました)
 
B : ふーん、そっかー、あーちこうぞうかー。
   あ、でもBちゃん
ね、赤ちゃんの時、足の裏引っ込んでなかったよ。ここ、まっすぐだったよ。
 
私 : そう! そうよ!! 赤ちゃんは歩かないから足の裏で体重を支える必要がないのよ。
   わぁ、びっくりしたぁ。Bちゃん、
よく憶えてたねえ。赤ちゃんの時って、何歳の時? お腹の中?
 
B :  ううん、お腹の中じゃない。赤ちゃんの時。
 
私 : そっかー。
(それにしても驚いた。「足の裏が平らだった」っていつの記憶だろう・・・)
 
そして翌日。
次女Bを車の助手席のジュニアシートに座らせてシートベルトを締めたとき。
 
B : ママ、首きついー。
 
私 : あぁ、ゴメンゴメン。シートベルトがね・・・
  (位置を調整して)こうならいいかな?
 
B : うん。
   ・・・ねぇ、ママ、Bちゃん、ママのお腹の中にいるときも首がきつい時があったよ。
 
私 : えぇっ!? それどんな時?
 
B : ママのお腹の中にいるとき。
   Bちゃん、手でぎゅーっとこうしたの(両手を前に出して、手のひらで壁を押すようなしぐさ)。
   そしたら、首がひもで後ろからキューッと引っ張られて、Bちゃん苦しくなって、もういっぺん、手でぎゅーっとこうしたの(同じしぐさ)。
   そしたら、首、ちょっと引っ張られなくなった。
 
私 : その後は、もう苦しくなかったの? 
 
B : うん。苦しくなかったよ。
 
 首が後ろからひもで引っ張られた・・・
 この子、臍帯が首に巻いてたっけ??? 
 
 その夜、仕事から帰ってきた夫に、私は興奮気味にこのやりとりを話しました。
 
私 : ねぇねぇ、私は「首がキューッとなる」って、臍帯が巻いたことかなぁ、と思ったけど、生まれたとき、Bって首に臍帯まいてたっけ?(←立会い出産だったので聞いてみた)
 
夫 : 憶えてない・・・ たぶん、巻いてなかったような気がするけど、どうだったかなぁ・・・
   でもさぁ、あれなんだろ? へその緒ってお腹の中で巻いたり、ほどけたり、するんだろ?
 
私 : うん、そうだね。お腹の中でいつのまにか首に巻いたり、解けたりすることがあるって聞いたような気がする。じゃあ、Bはいつの間にか巻いて、手で押した拍子に解けたのかなぁ???
 
夫 : いや、そりゃわかんないけどさ・・・ そうかもしれん・・・ どうなんだろうね・・・
 
 夫と「面白いね、不思議だね」と言いあった夜でした。 

17.ライオンは草を食べるか?

問題です。
 
5m×5mの檻の中に草がいっぱい生えています。そこにライオンを1頭入れます。
さて、このライオンは何日でこの草を食べてしまう
でしょうか?
 
チッチッチッチッチッ・・・
 
時間です。わかりましたか? ハイ、答えは以下の通り


 
答え:何日たっても草はなくならない。ライオンは肉食だから
 
 A(長女;中1)が友人たちとわいわいオシャベリしている時に出した、他愛のないクイズです。
 
 真面目な子は
ちょっと待って。仮に1日に1m×1mの草を食べるとして・・・
とか考えていたそうです。答え合わせをして、なあんだ、と
みんなでアハハと笑って、そこで終わり、じゃなかった!
 
ライオンだってお腹空けば草も食べるよ」派と「食べるわけないじゃん、肉食だよ」派に別れて、
どっちもひかなかったそうです
(けんか腰でなく楽しい盛り上がりで)。
 
  翌日「草食べる派」のある子が「私、インターネットで調べてきたんだ。ほら。」と得意げにプリントアウトした紙を見せると、そこには
ライオンは肉食なので基本的に草は食べないが、どうしてもどうしてもどうしてもお腹がすいて何にも餌がない時は、草を食べることもある
というようなことが書いてあったそうです。
 
 おぉぉ〜Σ( ̄□ ̄ と感嘆する子どもたち。
 
 すると「草食べない派」のある子がニッコリ笑って、「私も調べてきたのよ〜。ほら。」とプリントアウトした資料を見せたそうです。そこには
ライオンは草を食べない。理由は草を食べても、胃の中に草を消化する酵素を持たないからである。しかしライオンにも植物に含まれる栄養は必要。だから、ライオンは草食動物を食べるとき、まずはその内臓から食べる」というようなことが書いてあったそうです。
 
 おぉぉー( ゚Д゚)、とさらに盛り上がる子どもたち。
 
 内容が詳しく、信憑性がありそうなのは「草食べない」派の資料だが、「草食べる」派だって、「こう書いてある」とひかない。そこで皆で理科の先生に聞きにいったそうです。
 
 理科の先生「そりゃ食べないでしょう。肉食だもん。
 しかし自分たちなりに調べてきた子どもたち、こんな答えでは納得しません。
 
生徒「だから、肉食だと、どうして草は食べないんですか?
先生「えー、当たり前じゃない。ライオンが草食べるなんて、聞いたことないよ。
 
 子どもたち一同、ガックリ_| ̄|○
 こんなんじゃダメだ、先生はあてにならない、よしそれじゃ今度の日曜に動物園に行って飼育員さんに聞いてこよう、おー!!
(ただ、実際はその場にいたこのほとんどが用事があり、実際に行けたのは「草食べる派」「食べない派」各1名、合計2名だけだったらしいのですが)
 
 そうして飼育員さんに聞いた結果・・・
 
 飼育員さん「ライオンは草は食べないよ。肉を消化する酵素しか持っていないからね。
 
 おぉぉ、「草食べない」派の持ってきた資料と同じ答えだ。
 答えにバリエーションが出たわけではないけど、理科の先生みたいに「○といえば○でしょ」的な答えではなかったので、納得できる。
 
 「草食べない」派の資料もあるから、「食べない」ことを完全に否定することはできないけれど、飼育員さんもこういうから、まぁ基本的原則的な正解としては「ライオンは草を食べない」ということだね、と納得、一件落着。
 
 「友達とこういうことで盛り上がって、面白かったんだよ」と、長女からこの経緯を聞いてわたし、すごーい、と感心しました。
 
 知らないことを知ろうとする意欲、実際に調べて聞いてまわる行動力、自分の意見を友人に主張するプレゼン力。
あなたたち、すごいよ(≧▽≦)
 
 こういうことで盛り上がれる友人が長女の周りにいて、よかったなぁとつくづく思いました。

18.Cプラン

長女から相談がありました。
 
(*^−^) お母さん、今度、友達と一緒にウチの台所を使ってもいい?
 
(-o-) いいけど、何で?
 
(^0^) あのね、Cプラン! 正確にはC・Cプランなのよ〜。
 
(~_~;) は??? 何じゃそりゃ???
 
(*^_^*) 友達とクリームシチュー作ろうってことになったのよ〜! 題してC・Cプラン♪
 
(@_@)  友達と一緒に・・・ ってケーキやクッキーをワイワイ作ろうって言うならわかるけど、なぜクリームシチュー???
 
(#^.^#) 部活してて、お腹すいたところにクリームシチューみたいな匂いが漂ってきて、「おいしそうー。みんなで作りたいねー」ってことになったの!
 
(-_-;) わ、わからん・・・ いや、いいけど・・・
 
で、Cプラン決行!
 
お友達の一人が持ってきたCDの音楽をかけながら、キャアキャア ワイワイ アハハハハ・・・☆彡
 
人参で★や(=^・^=)ネコやハートを作って「ハートは次女ちゃんのに入れてあげますね〜」と、優しいお友達・・・
 
:*:・( ̄∀ ̄)・:*: ハー、キミタチ、人生楽しいねぇ。青春だねぇ。オバちゃんは、見てるだけでシアワセな気持ちになるよ。
 
美味しそうにできたねぇ(*^_^*)
ではこれから、いただきましょーう(≧▽≦)
 
あっ、オバちゃんのシチューに人参のネコとハートが入ってた〜\(^^)/
これからも、AプランでもBプランでもやりにおいで〜(@^―^@)ノ“

19.空飛ぶ次女

ママー、私、空 飛べるの。知ってた?(≧▽≦)
 
し、知らなかった・・・ヽ((◎д◎ ))ノ
 
よーく見てて! ほらっ!!
(両足ジャンプ+両手をパタパタ)
 
о(ж>▽<)y  ね、ちょっと飛べたでしょ!?
 
(-"-;A う、うん。。。
 
ヾ(@°▽°@)ノ すごいでしょ!?
 
( ̄ー ̄; うん。。。
 
 
その後、パタパターパタパターと言いながらしばらく空を飛んでた(?)次女ですが、やおら、父親のところへ向かったかと思うと、
 
ねーパパー! パパの幸せって何?
 
は!? えーと・・・ 次女ちゃんや長女ちゃんやママ、みんなが笑って過ごせること、かな・・・
(↑真面目人間め)
 
じゃ、ママの幸せは?
 
は!? えーと、みんなで夜ご飯を食べられることかな。。。
(↑くっそう、私もつまらん答えしか言えなかったじゃないか)
 
じゃ、お姉ちゃんの幸せは?
 
えーと、えーと、部活と友達かなぁ。
 
私の幸せはねー、みんなが遊んでくれること!!(*^▽^*)
だからあそぼー!!
 
Σ(・ω・ノ)ノ! 言いたかったのは、そこか!!
 
空飛ぶ哲学者、あなたの隣にもいませんか???

20.悩める長女

長女が帰宅するなり言いました。
 
ヾ(。`Д´。)ノ あぁぁぁー、もうヤケ酒飲みたい気分ー!  飲めないけどー!!
 
どうしたのでせう???( ̄_ ̄ i)
 
(;^_^A えーと、ヤケ炭酸ジュースでも飲む? おやつ食べるかい?  ・・・学校で何か腹が立つことでもあったの?
 
ヾ(▼ヘ▼;) 何かあったっていうんじゃなくて・・・・・  あったことはあったけど、それはまぁいいんだよ。仕方ないっていうか。
 問題は、あったことに対しての自分の反応が「げっ」なんだよ。
しかもそれで友達の反応が「あーぁ」なことになって、それで自分もますます「あーぁ」で自己嫌悪・・・
 
(^^ゞ あー、そりゃ苦しいね! もだえるね。わかるわかる!
 
(`Δ´) わかるって・・・ 私の話、お母さん、何がなんだかわからないでしょう?
 
ヽ(゚◇゚ )ノ わかるよ! 
 (具体的な出来事の内容は)わかんない
けど、(そのとき感じた気持ちは)すっごくわかるよ!! 
 お母さんもそういうこと、何度もあったもん。そういうこと、オトナになっても
あるよ。苦しいよ。
 後悔したんなら、そのこと、謝ったりしたの?
 
(・ε・) 謝るとか、そういうことじゃないんだよ。
 
(><;) そっかー。
 
 
その後、長女はおやつを食べながら何とか自分の感情と折り合いをつけていたようでした。
 
私は、長女の悩み方を見ていて、感無量。
 
あぁ、小学生の時の悩み方とは違うなぁ。
長女の精神が成長して、周囲の友達もそうで、そこでの社会的な付き合いはお互い手探りだからいろんな感情のぶつかりあいや行き違いがあって。
でも、お互い信頼関係があれば、そこに戻ってそこからちゃんとまた始められる・・・
 
私にも憶えがあります。
 
言い過ぎたり、言葉が足りなかったり(ノ_・。)
後ずさりしすぎたり、踏み込みすぎたりヽ(;´Д`)ノ
感情があふれすぎて心配されたり、押さえすぎて誤解されたり( ̄∩ ̄#
 
あー、思い出すと恥ずかしさや悔しさで身悶えするよぅ〜(/TДT)/
 
(iДi) 長女ちゃん、これからこういうこと、何回もあるよ。苦しいよ。

苦しめ苦しめ〜(*^o^*)/~
 
成長した長女と、飲みながら話す日がますます楽しみになりました。

                 
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