JRA(若年性関節リウマチ)は、現在はJIA(若年性特発性関節炎)という呼び方に移行していますが、ここでは耳なじみのあるJRAという表記を用いました。
JRAに関するエッセイ、日記、手紙、日常の一コマetc・・・
タイトル横の番号は、古い順です
1.子どもがJRAとわかったとき 2005.08.21
2.主治医から幼稚園園長先生へのお手紙 2005.08.21
3.どうしてお薬飲むのぉ? 2005.08.21
4.新しい上履き 2005.09.01
5.謎の血沈 2005.09.10
6.発熱の解釈 2005.10.01
7.運動会の感想 2005.10.30
8.リウマチャーに100の質問 2005.11.03
9.あーびっくりした 2006.01.17
10.採血考 2006.01.20
11.リウマチマン−4歳児へのJRAの説明− 2006.04.21
12.気づいてしまった 2006.06.01
13.ヘルパンギーナ 2006.06.05
14.紙芝居と絵本を作っちゃった 2006.11.01
15.☆くんがわかってくれてよかった 2006.12.03
16.泣かずに採血できた!! 2007.05.18
17.桜→涙は卒業 2007.05.18
18.取り越し苦労、解決! 2007.05.18
19.くすり箱 2007.12.17
20.紙芝居の後のおはなし 2008.10.1
次女がJRAと診断されて1ヵ月後くらいに、次女と関わる人たちにお手紙を書きました。
親戚か、友人か、また、親しさの度合いによって、内容は、ほぼこのままだったり、大きく割愛したりしています。
B(眠りねずみの次女)の周囲の皆さまへ
こんにちは。今回はB(2歳)の病気について少しお話したいと思い、お手紙を書きました。
Bは若年性関節リウマチ(以下JRA)と診断されています。生活するうえで、少し制限というか気をつけないといけない部分があります。また、Bの周囲の家族(眠りねずみの夫、眠りねずみ、長女A)の生活にも影響してくる部分があります。
そこで、Bの周囲の人たちには「病気のことや生活上に注意点などを知っていてもらうと彼女の社会生活が少しでもスムーズになるかな」という思いでこのお手紙を書きました。
また、眠りねずみ・長女Aの周囲の人たちには「いろいろご迷惑・ご心配をおかけすることがあるかもしれませんが、こういうことですので」というご説明をしたいという思いでこのお手紙を書きました。
「これまでの経過」「病気について」「Bと家族の生活・しつけについて」「家族の気持ち」の順に述べますが、皆さますでにご存知の部分もあると思います。既に知っているところ、関係ないところは読み飛ばしてください。
1.これまでの経過
2004.3/16〜23 16日朝、B「アシ、イターイ」と言って歩きたがらない。
歩かせると左足をかばうように引きずる。
→近所のS整形外科「膝が伸びませんね。何かある。詳しい検査を
しましょう。国立病院へ紹介状を書きます。」
→国立病院整形外科にてMRI。
Dr「MRI上は異常はありません。しばらく様子を見ましょう。」
私「でも先生、こんなに膝が腫れて、痛がって泣いてます。MRIでわからないなら、
ほかの検査はしないんですか? 痛み止めとかは?」
Dr「MRIで大抵わかるんです。MRIにうつらない程度だからね。してもね…」
採血などほかの検査の予定は入れない、痛み止めなど薬も処方しないとのこと。
3/24〜30家族会議
「このまま国立にかかっていても何もしてくれなさそう。腫れが大きくなってるし、痛がってかわいそう。他の病院を受診させよう。」
→どの病院がよいか、情報収集。
眠りねずみの知人より「私の知っている子の症状とよく似ている。若年性関節リウマチなの」とのこと。
→眠りねずみ、ネットで検索。紹介されているJRAの症状と、Bの症状とがよく似ているのでJRAかもしれないと思い始める。
3/31 JRAのHPで紹介しているK大学病院のJRA専門医にメール送信。
私「次女にこういう症状があります。眠りねずみがすんでいる市でJRAかどうかを診断してもらうには、どの病院を受診したらいいかご紹介ください」
3時間後返信メールあり
Dr「朝5時のメールだったので、お母さんが心配で切羽詰っている様子が浮かび、急ぎメールしています。
JRA専門医は全国でも数が少なく、専門医以外は判断が難しいです。自分のところに九州全部はもちろん、関西からも患者さんが来ます。あなたの居住地からK大学病院までは、新幹線を使えば1時間位で着くでしょう? K大学病院まで来ませんか。今日でもいいですよ。」
眠りねずみ、K大学病院に電話し(Bがたまたま水疱瘡になっていたので)4/5受診となる。
4/5〜14 K大学病院受診し、結果が出る。
血沈が51(普通は20以下)、抗核抗体320倍(普通は40倍以下)、そのほかのデータ及び臨床症状(朝、痛みが強いなど)から、ほぼJRAだろうと言われる。
ただし、Bの場合は関節が一つだけ腫れる単関節型で、これは診断がとても難しく、ごくごくまれに、白血病とか、小児がんとか、結核菌による炎症とか、そんな要因で関節が腫れることがある。だから、白血病を否定するために骨髄穿刺を、がんを否定するためにシンチを、結核を否定するためにツ反を、という風にいろいろな検査をして、『そうではない』ということを判定していかなくてはならないとのこと。
ひとつひとつ通院でするのは大変なので、効率的に検査を進め、早く治療にとりかかるためにも検査入院することを決める。
4/21〜24 K大学病院に検査入院(28日まで入院の予定だったが、検査が他の人のキャンセル部分に入れたので、予定より早く退院となる)。
検査でほかの病気の否定はできたので、JRAとして治療を進めることになる。
これから 2週間おきに交互に、眠りねずみ在住地にあるC病院と、K大学病院に行き、採血などのデータを確認、薬の処方を受ける予定。あとは病状によって治療方針が変わるかもしれません。
いま治療として実施していることは朝・昼・夕食後に1錠ずつ薬を飲むこと、これだけです。
2.病気について
原因は不明です。なので、病気そのものを完全に治すための治療法は確立していないと言われています。
治療の目的は「改善」「管理」「悪化させない」「寛解」などと表現されることが多いです。しかしK大学病院のDrは「Bちゃんのタイプは70%以上は完全に治るんです。治癒を目指しましょう。」と言ってくれました。私もその70%に入ると信じて取り組みたいと思っています。
また、これはK大学病院のDrが言うだけでなく、どのテキストにも書いていることですが、症状を改善し、病気を進行させないための有効な治療法はいくつもあります。治療は2年とか4年、10年とか長い目で取り組んでいくことが必要です。
発症率は1万人に1人とか、6千人に1人とか、千人に1人とかテキストによって書いていることが違いますが、そのくらいです。小児慢性特定疾患に指定されています。
関節に炎症がおこり、それが長期間続くと その部分の骨が育たなかったり、骨が破壊されたりします。そこで、ちゃんと骨が育つために、また骨が破壊されないように、炎症を抑えるための治療をしていきます。朝、痛みやこわばりが強いのが特徴です。Bの場合、左膝関節に炎症があるので、歩きたがらず、歩くときも、左膝を伸ばしたまま大きく引きずります。
JRAにはいくつかのタイプがあります。Bのタイプは少関節型の中でも単関節型です。眼に影響が出て視力低下や失明がおこることがあるタイプなので、それを食い止めるために、眼科も定期的に診察していきます。他にも多関節型や全身型(40℃くらいの高熱が出る)があり、少関節型からそちらに移行することもあります。Bは「多関節型に移行する可能性は半分」と言われました。
治癒にたどりつけない状態で学校にあがるようになると、体育は見学のことが多くなるでしょう。ダメなこととして、跳び箱、縄跳び、短距離走、マラソン、バスケやバレーなど球技、テニスやバトミントン、柔道や剣道etc。
さらに悪い想像として、治療があまり効かないで病気が進行すると、関節が変形したり固まったりする可能性があります。そうなると車椅子が必要になるかもしれませんし、日常生活にも影響が出てくるでしょう。人工関節にするための手術をしたり、身体障害者手帳を申請するケースもあります。
どちらにしろ死亡率が高くなるわけではないし、知能や人格には影響ありません。
3.Bと家族の生活、しつけについて
大原則は「左膝を無理に曲げたり伸ばしたりしない」「左膝に大きな負荷がかかるようなことは避ける」これだけです。
もう少し具体的に言いますと、関節が炎症をおこし、もろくなっているわけですから、関節に大きな力がかかるようなこと、激しくぶつかるスポーツは避けなければなりません。
今のBではぴょんぴょん飛ぶことが多いダンス、おしくらまんじゅう、椅子取りゲームには参加できません。だからといってBの周囲でこれらの遊びをしないように、といった遠慮はいりません。ただ、お友達が「Bちゃんも一緒にしよう」と誘ってくれてもお断りしなければなりませんし、親が「参加しちゃ、ダメ」といってもなにしろ2歳なのでよくわからず、参加したがるかもしれません。その時はとりあえずその場から連れ出しますが、どうぞお気になさらないで下さい。
歩いたりジャンプしたりは、本人が自発的にする分には「やめなさい」と止める必要は全くありません。ただし本人が嫌がる時は「もっと歩こう」「ジャンプしよう」など促すことはしないでいただきたいです。
運動に制限がある一方で、関節が固まらないためには体を動かすことが必要ですし、筋力があったほうが関節に負担をかけません。治っていなくても状態が安定していればできる運動は、水泳、三輪車や自転車、散歩(本人のペースで)etc。
日常生活では、右足の靴は自分で履けますが、左足の靴は自分で履けません(左膝が曲がらないため)。パンツタイプのオムツを履かせる時やズボンをはかせるときは左足をあまり曲げずにすむよう、まず左足の膝の上まで一気にはかせてから右足をはかせます。手には不自由はないので、食事や上半身の着替えは問題なくできます。
ついこの前までできていたことが出来なくなって、母親としては正直なところ可哀想に、と思います。A同様、Bも運動神経はそうまずくないだろう、バランス感覚もカンもまあまあだろうから、スポーツもそこそこ楽しめるだろう(←親バカ)と今まで思ってきたからなおさらです。
しかし、事態がこうなった以上、仕方ありません。そして夫と私の共通認識として「Bが自分で自分のことを『かわいそうな私、できないことばかりでみじめな私』と思うようにはしたくない」という強い思いがあります。自分で自分のことを、何もできないみじめな存在だと思うなんて、何て悲しいことでしょう。そしてそんな精神状態は本人にとってもどんなに苦しいことでしょう。
だからできないことは「これはできないから仕方ないね」としても、「これ上手だね、あれもやってみようよ。」と、できることに目を向けさせたいです。そして「かわいそうだから」とチヤホヤすることで、わがままにしたくない。今までどおり叱る時は叱り、特別な子どもではなく、長女と同じようにしつけたいです。
「かわいそうに」という視線・態度で接すればBは「私はかわいそうだと思われている」→「私はかわいそうなの?」→「私はかわいそう」となるでしょう。だから少なくともBのまえでは「かわいそう」の気持ちにはフタをして、にっこり笑うし ビシビシ叱る今までと何らかわりのない父親・母親でいたいのです。
そして難しいことだと思いますが、周囲の人にもそうして欲しい。皆さまBに会って、足を引きずるのをみたら、そしてこれから先のことを考えたら、思わず「こんなに小さいのにかわいそう」と思うかもしれません。しかし役者になってその気持ちをぐっとお腹の下にとどめて、にっこり笑ってほしいのです。「それは無理」ということであればそれはそれで構いません(第一、周囲の人すべてが親の教育方針に沿った接し方をしてくれるはずがないのは、長女の場合だってそうです)。最終的にBがどんな性格になるかは、本人の資質と、両親である私たちの責任だと思っています。
なんだか大上段に構えていろいろ述べましたが、実際のところは、Bと接していれば、「Bはかわいそうな存在ではない」ということがわかっていただけるし、最初は違和感があっても、そのうち演技ではなく自然に、いつもの皆さまのまま接してもらえると思っています。我家の日常は今までと変わりません。Bは外遊びが大好きで、ゴハンもモリモリ。ご機嫌でアンパンマンマーチにあわせて踊るし、気に入らないことがあると威張って「イーヤッ」とそっぽを向き、私が「イヤじゃないっ! だめでしょっ!!」と叱ってウエーンと大泣きする、小さい子のいる普通の日常が繰り広げられています。
☆眠りねずみの生活への影響
眠りねずみは今、通信制の大学院の2年生です。大学院卒業と同時に再就職するために今年、就職活動をするつもりでしたが、Bの病気がどうなるか、全く見通しがたたないので、とりあえず今年の就職活動はあきらめました。
Bの病状によっては急に入院が必要になったり(付添いが必要になったり)するかもしれませんので、大学院のレポートなど締切が最初からわかっているものには早めに取り組みたいと思います。
一方で子ども会や学校の催しなど日程が決まっているもので参加や協力を決めていても、Bの病状によっては急にキャンセルすることがあるかもしれません。できるだけご迷惑をおかけしないように、とは思いますが、基本的に「迷惑をかけないために最初から関わらない」のではなく「行事など、できるだけ参加したいし、中心になって関わることはできないが、できる部分はお手伝いしていきたい」という気持ちです。どうぞよろしくお願いいたします。
4.家族の気持ち
(1)A(長女)の気持ち
Bが検査入院した時、母親である眠りねずみは付き添っていましたし、父親は仕事で帰宅が遅いので、Aは祖父母宅に泊まっていました。
Bの病状が急に変化して入院が必要になった場合は、再び祖父母宅に泊まることになると思います。Aへの直接的な影響はその位です。
精神的には、5年生なりに心配したり考えたりしてくれているようです。最初にK大学病院に行く前に「Bはこんな病気かもしれない。病院で調べてくるよ」とAに言いました。その時は「ふうん」と聞いていました。
JRAかもしれないと疑い始めてからJRAが確定するまで、このあたりが眠りねずみの精神状態が一番不安定でした。
確定前、眠りねずみがAの前で涙ぐんだことがあります。「Aちゃん、Bがほんとにリウマチだったらどうしよう・・・」と。Aは私の頭をなでながら「よしよし。まだわからないんでしょう? 大丈夫、大丈夫。」とにっこり笑ってくれました。そして翌朝、「ママ、私、ゆうべはベッドの中で泣いた。Bの病気のことが心配で。」と言ってきました。
JRAが確定したことを言った時は「じゃあ、じゃあ、Bは跳び箱はできないの? 車イスに乗るようになるの? 手術とかもしなきゃいけないの?」と言って泣きだしました。
眠りねずみが「今の状態なら跳び箱はできないねぇ。車イスや手術は必要になるかもしれないし、ならないかもしれない。まだわからない。」といってAを抱きしめて背中を撫でました。Aは背中を撫でられながらしばらく泣き続けました。しばらくして泣きやんで、「ママ、あたし今、すっごくくだらないこと考えてたよ。」「なに?」「今ね、ママあたしの背中162回なでた。かぞえてたの。」そしてふたりでアハハと笑いました。
先日、Aの授業参観に行ったら、「5年生の目標」が教室の後ろに貼ってありました。Aは「勉強1時間。漢字をたくさん覚える」「できるだけ外で遊ぶ。掃除をがんばる」「妹を無理に運動させない(じゃくねんせいかんせつリウマチだから)」と書いていました。
今のところ眠りねずみの目から見る限り、穏やかに妹の病気を受け入れていると思います。精神的に不安定な様子はありません。
(2)眠りねずみの気持ち
JRAかもしれないと思い始めてから4/8に「抗核抗体陽性。ほぼJRA」と言われるまで、毎日泣いていました。
かわいそうに、かわいそうに。何でこんなことになってしまったの、ついこの前まで何ともなかったのに。Bには何にでもチャレンジできる無限の可能性がある、それを信じて疑わなかったのに。
それに2歳で膠原病なんて、これから成長していかなければならないのに、どうなるのだろう。代われるものなら代わってあげたい・・・。
「私が泣いてばかりではいけない、しっかりしなくてはいけない」「世の中には事故や犯罪に巻き込まれて亡くなる人もいるし戦争で亡くなる人もいる。家族はなすすべもなく、どんなに辛いだろう」「病気でも、治療法もなくて亡くなっていく病気もある。うちは家族としてBにしてあげられることはたくさんある」「病気に対して、ちゃんといろんな治療法がある。楽観的に『そのうち治る』と簡単に言えるものではないけれど、絶望的な状態でもない」
気持ちはあっちにいったり、こっちにいったり。「よし、もう大丈夫。腹をくくった。」と思っても、何気なく流れる「世界に一つだけの花」やアンパンマンのオープニング・エンディングの歌を聞くと涙が出ました。Bがご機嫌で「お母さんと一緒」の画面にあわせておどっていて、体操のお兄さんが画面で「はい、ジャーンプ」と呼びかけるのにあわせてジャンプし、とたんに「アシ、イターイ」と泣いてうずくまるのをだっこし、「はいはい、大丈夫よ。ジャンプしたら痛いねぇ。自分でおぼえなくちゃダメじゃない。」と笑顔で背中をなでながら、胸は掻きむしられるようでした。
今も将来のことを心配しだすときりがありません。
治癒しなければ、妊娠・出産はできないかもしれない。小学校にあがるころ、治っていて欲しい。治療が効かないタイプだとしたら、そのころ自分の足で歩けるのか。車椅子で通学することになるのだろうか。治療が効いたとしても、治癒に至っていなければ、体育は何にもできないのだろうか。
今は何もわからないけど、もう少し大きくなって幼稚園や保育園でお友達とお話しするようになって、「Bちゃん、へん」とからかわれたり、嫌な思いをするのではないか。関節が拘縮したり変形したら・・・
診断がほぼ確定して、泣くことはぐっと少なくなりました。将来のことは考えてもしかたない。なるようにしかならない。今、目の前でBが笑っていることを大切にしよう。自分に、家族にできることをしていこう。Bが病気と一緒に生きていける知識と態度を身につけさせよう。
私にとって、Bも大切で、Aも大切です。私がメソメソしたことでAにはかわいそうなことをしたな、と思います。Aは普通の5年生程度にはしっかりしていると思いますが、それでも子どもです。私が頼って甘えていい存在ではなく、親としてかばってやらなくてはいけない存在です。
現実的にBに時間と労力を割くことは仕方ありませんが、Aの気持ちを大切にし、彼女がすこやかに成長するように、ということにも気をつけていきたいと思います。
夫にも申し訳ない気持ちがあります。現実的なことでいえばお金のこと。
Bが生まれたとき、彼が「Bも医療保険に入れよう」と言ったのに、私はケチって「3歳までは、私たちが住んでいる市は医療費がタダだから、入らなくていいんじゃない? 私が働くようになってとか、Bが3歳過ぎてから入ろうよ。」と言って、入らなかったのです。浅はかだったなァ、隣県のK大学病院まで行くとか、そんなケース想定してなかった、と悔やんでいます。
彼はそのことについて「オレもあの時は『それでいいか』と思ったもん。」と私を責めません。優しいな、と思います。
また、私の気持ちが不安定だったとき、夫は「なるようにしかならないよ。そしてなるようになるよ。大丈夫。」と穏やかに言い続けてくれました。そのことにたくさんたくさん感謝する一方で、心の中で「ほんとに事態の深刻さがわかっているの?」と苛立ったりもしました。
でも私もようやく落ち着いてきて、今は「夫が終始落ち着いていてくれて、よかった。」と思います。私がメソメソ、イライラ、カリカリして、夫もそうだったら、二人して嫌な雰囲気を増幅させるだけで、いいことは何もなかったと思います。夫婦にも子どもたちにも。さすが私が伴侶に選んだだけのことはあります(ハイ、のろけです)。
この夫だから、この長女だから、これから事態に一緒に立ち向かって行けると思います。いい家族に恵まれて、本当に私は幸せ者。
それに、味方は夫やAだけではありません。今回、一番身近に心配し続け、励まし続けてくれたお母様(夫の母)。「大丈夫だから。」「支えるから。」「みんなで頑張っていこうね。一人で抱え込んじゃダメよ。」と言い続けてくださって、どんなに励まされたことでしょう。
実家のお母さん、つい電話口で泣いてしまってゴメンナサイ。お母さんは実際のBの姿が見えないから、余計に心配する、心配かけちゃいけないと思ってはいたのですが・・・ 30過ぎても、お母さんの前では娘に戻ってしまって・・・。
Yさん、Tさん、心配しながらも私に直接聞けず、お母様に連絡を取ったり、病気の情報を集めたりしてくださったでしょう。
私から電話しようと思いながらも、直接話したら涙が出そうな気がしてなかなかできませんでした。ごめんなさい。
正直なところ、気持ちはまだ不安定な部分もあります。しかし気持ちはどうあれ、ママ女優として笑顔で過ごすことはだいぶ出来てきました。
大丈夫、大丈夫。私は運がいい。 第一に心強い援軍がこんなにたくさんいる。
第二に今回、症状が出てから専門医にたどりつくまで短い時間ですんだ。夫やお父様・お母様が「なんとかしようよ」と強く言い続けてくれたおかげ、偶然、ママ友から有力な情報が入ったおかげ。
第三に遠いとは行っても、K大学病院まで日帰りで行ける距離。
第四に私が仕事をしていない時期だから、治療に十分に時間を割ける。
第五に関節リウマチは新薬が次々開発され、治療法がダイナミックに進歩している最中。これからますます有効な治療法が出てくることが期待できる。
ほかにも、恵まれていることはまだまだたくさんあります。
私にはちょっぴり病気についての知識があり、これからも勉強して知識を深めていくことができます。私は決して無力ではないはずです。もちろん完璧な母親ではないけれど、よりよい母親となれるよう、努力することができる資質も、気力も、体力もあります。ありがたや、ありがたや。
アンパンマンも言っています。「♪もし自信をなくして、くじけそうになったら、いいことだけ、いいことだけ、思い出せ♪」 運がいいこと、恵まれていることを思い出しながら、これからやっていけます。
(3)夫の気持ち
私が泣いていた時、一度だけ厳しい口調で「Aの前で泣いたらいけないよ」と言いましたが、後はずっと穏やかで、優しいです(←Aの前でうっかり泣いてしまったことは内緒にしてます)。
「オレはのんきすぎるのかな。おまえやおふくろが大騒ぎしてるのが、いまいちよくわからん。なってしまったものは仕方ないじゃんか。」と落ち着いています。
「自分の仕事の他に、趣味のグループ(複数団体)の活動に参加したり、雑用や とりまとめをしているけど、これから少し活動を控えるとか、考えようかな」と言っています。
私は友人に「眠りねずみのダンナさんもショックだと思うよ。そんな時にあなたがドーンと落ち込んでいると、彼は自分が落ち込んでいるところを出せなくて、つらいんじゃないかな。」と言われ、ほんとにそうかもしれない、と思いましたが、見ているとどうもそうではないような気がします。
ほんとに、心から、「死にゃーしないんだろ。車椅子でも、動きが不自由でも、何とかなるよ。」と思ってるような・・・(演技がうまいのでしょうか???)。
「痛いのも不自由なのもBなんだから、一番大変なのはBなんだぞ。これからあいつは嫌でも病気に伴う痛みとか不自由をしょっていかなきゃいけないんだ。おれらはそれをサポートすることしかできないんだから。」とズバリと言われたときは、本当にそうだな、私は感情的になって悲しい状況ばかり想像して泣いていたけれど、夫は本質的な部分をしっかりおさえているな、と思いました(さすが私が伴侶に・・・もういいっちゅーねん)。
(4)Bの気持ち
朝は機嫌が悪く、だっこ、だっこと歩こうとしません。左膝関節が痛いのだと思います。
起床後2時間くらいすると大きく足をひきずりながら歩きます。
起床後3時間もたつと、足をひきずりながら笑顔で遊びます。自分では何でもできるつもりで、ぴょんと飛んだり、大きな段差を降りたりして思いがけず関節が痛かったりすると泣き出したり、「アシ、イーターイッ!」と自分の足をぺちぺち叩いたりしますが、私がだっこして「痛いの痛いのとんでいけ」してしばらくすると笑顔がでます。
以前、家に私とB2人でいて、アンパンマンのTVをみていたことがありました。「アンパンマーン、カレランマンッ(カレーパンマン)!!」と、ごきげんで足を引きずりながら部屋を走り回っているBを見ていたら、涙が出てきました(ほんとにメソメソしていたんです)。
そしたらソファーで泣いている私に気づいたBが、「ママ、アシ、アイター?」と私の顔をのぞきこんで、私の足の甲をなでなでして、「痛いの痛いのとんでいけ」の仕草をしてくれました。「ありがとう。Bちゃんが痛いの痛いのとんでいけしてくれたから、治った。」と言ったら、またアンパンマンを見はじめました。
今のところ、人の気持ちを思いやれる、やさしい子どもに育っていると思います(←親ばか)。
今はK大学病院への通院を「チンカンテ(新幹線)、ノンノー?」と無邪気に喜んでいます。
これからが正念場だと思います。これから、Bが自分の病気を過大評価も過小評価もせずに発達段階に応じた理解ができるよう、サポートしていきたいです。また、ひがみっぽくなったり、わがままになったりしないようしつけなくてはなりません。まずはBの気持ちを受け取りつつも、負の感情が出てきたときに巻き込まれない、ゆるぎない両親として側にいたいです。
おわりに
長いお手紙に、そして決して楽しい内容ではないお手紙に、ここまでおつきあいくださってありがとうございました。
大変なのは我家だけではない、私一人で悲劇のヒロインになってはいけない、と思っています。眠りねずみの家の周囲にも、様々な困難に直面しながら頑張っていらっしゃるご家族がたくさんいます。たくさんの家族がいろんな状況の中、泣きながら、あるいは笑顔で生活しているのだと思います。
みんな、みんな大変。
眠りねずみ一家もひとりひとりが自分なりに頑張りながら、一方で周囲の皆様のお力を借りながら「♪いいことだけ、いいことだけ思い出せ♪」と歌いながら1日1日を過ごしていきたいと思います。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
2004.5月(JRAの診断がついて約1ヵ月後)
眠りねずみ
2歳でJRAを発症した次女Bも3歳になり、幼稚園(年少組)への入園が決まった。その時に、Bの主治医が「少しでも、Bちゃんの園生活がスムーズにいくように」と、園長先生宛に手紙を書いてくれた。
○○幼稚園
園長先生御机下
4月を目前に迎えても、寒い日が続き、なかなか春の訪れを感じられません。先生方にはご健勝のこととお慶び申し上げます。
さて本日は、貴園に入園予定のBちゃんについてお願いがあり、突然で不躾ですがお手紙をさしあげました。ご承知とは思いますが、Bちゃんは、平成16年3月より関節痛が出現し、翌4月から若年性関節リウマチとして、私どもK大学病院小児診療センターで治療にあたっている子どもさんです。
まず、子どもでもリウマチがあるのかと驚かれるかも知れません。しかし、子どもの5000人に1人は見られる病気で、小児の慢性疾患の中では比較的多い病気です。この病気は、人の持つ免疫力(本来はバイ菌やウイルスなどを攻撃する力=抵抗力)が、誤って自分の体の一部を攻撃してしまう病気(=自己免疫疾患)の一つで、Bちゃんの場合は、自分の免疫力が自分の関節を攻撃してしまうことからおこる病気と考えられています。何故こんな状態になるかは不明ですが、感染したり、遺伝したりする病気ではありません。
この病気の症状としては、発熱、関節痛、関節のこわばりや腫れ、全身倦怠感がありますが、特に朝にこれらの症状が強くでやすいことが特徴です。
Bちゃんの場合、左ひざの関節炎が続き、痛みの強い日には歩けない状態のこともあり、膝を伸ばせない状況でした。昨年4月から当科で積極的な治療を続けたところ、最近では、幸いにも膝関節の痛みや腫れは消失し、元気に走り回ることができるようになりました。左肘には一度も痛みはなかったようですが、受診されたときに少し伸びが悪いことに気づきました。ここにも少し炎症があったのかもしれません。
子どものリウマチは、大人のリウマチと違って、積極的な治療を行えば約60%の患者さんは完全に治癒(完治)します。Bちゃんも、その経過から考えれば完治も十分可能だと考えますが、しかしその一方で、平均でも5〜6年と長い時間が完治までにかかることも事実です。
完治までのこれからの期間は、Bちゃんにとっては、お友達との集団生活を通して、心身ともに健やかに成長していく時期とも重なります。したがって、幼稚園での生活と病気の治療とをうまく両立させることが必要です。その意味で、今後のBちゃんの幼稚園での生活に関して、これからもいろいろなことをお願いすることになると思いますが、宜しくお願いいたします。
幼稚園で注意して頂きたい点について、以下に具体的にまとめてみました。
〈幼稚園での注意点やお願い〉
1)特に注意していただきたいこと
現在、症状はないものの、左膝と左肘の関節を保護する必要があります。その意味で、幼稚園でおすわりをする時は正座はさせず、足を投げ出して座るようにしてください。また、膝や肘に衝撃が加わるような運動や行動には特に注意が必要です。
2)体調について
この病気では、午前中に関節の痛みやこわばりが強く、体がだるく感じることもあります。その場合、Bちゃんは午前中あまり動こうとしないかもしれません。このような時はあまり無理をさせず、目立つ時はご自宅への連絡をお願いします。
3)園の行事
鍛錬を目的とした行事以外、あまり制限はありません。たとえばお遊戯会などで、本人の体調や状態がよければ、心配なく参加させてください。遠足などで長距離を歩くときは、しばらくは車を利用した参加とさせてください。見学が主体の行事には制限はありません。
4)治療薬に関する注意
治療薬のために、Bちゃんは感染症に対する抵抗力が多少落ちている可能性があります。したがって、風邪などかかった場合は、早めの対策が必要です。園で発熱など見られましたら、早めにご自宅へご連絡ください。また、幼稚園における感染症の流行など、情報がありましたら早めにご家族へご連絡ください。
いろいろお願いを申しあげました。現状のBちゃんであれば、園での生活にはほぼ支障はないはずです。また、お友達と一緒の時間を持つことは、Bちゃんにとっては大切な体験です。
園の先生方の心身両面にわたる心暖かいご配慮をお願い申しあげる次第です。ご不明な点、園行事や園での生活等で判断に困られるような状況がございましたら、いつでも下記までご連絡ください。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
平成17年3月
〒000-0000 K県K市△□9-99-9
K大学病院 小児診療センター
小児リウマチ膠原病グループ
○A.A 、 B.B、 C.C、
(医師3名の実名。主治医の名前の前に○印)
電話000-000-0000(直通)、FAX111-1111
E-mail abc@de.fghi.k-u.ac.jp
次女B、3歳7ヶ月のある日。
B : どうしてBちゃんはお薬飲むのぉ?
眠りねずみ : (一瞬、グッと詰まって) それはBちゃんがご病気だからよ。
(言った後で、自分の言葉がキツくて、心の中で泣きました。)
眠りねずみ : Bちゃんのお膝が痛くならないよう、お薬が体の中で頑張ってくれてるからね。
ママも、Aちゃん(Bの姉)も、風邪引いたらお薬飲むでしょう? おんなじよ。
B : Bちゃん、ずーっと飲んでるよー。ママと Aちゃん、(お薬)ないよ。
眠りねずみ : ママとAちゃんは、お風邪治ったから、おくすり飲まなくていいの。
でも、Bちゃんのご病気は風邪じゃないのよ。リウマチよ。リウマチ、まだ治ってないの。
治るのに時間がかかるの。だから毎日ブルフェン飲むのよ。
B : ふーん。
この発言の数日後、Bが薬を飲まないとゴネました。
B : ブルフェン飲まないー。
眠りねずみ : どうしたの? なんでお薬飲まないの?
B : 飲まないのー。(タオルケットを頭からかぶって隠れる)
眠りねずみ : 飲むよ。飲まなきゃダメ。飲まなきゃ、おひざ痛いになっちゃうよ。
牛乳で飲む? ジュースで飲もうか?
B : ・・・(タオルケット蓑虫のまま、出てこない)
眠りねずみ : じゃあ、Yちゃんにお薬プチッてしてもらおうか。
(Yちゃんに向かって)Yちゃんにおばちゃんからお願い、Bちゃんにお薬出してあげてくれる?
――この時、仲良しのYちゃんが遊びに来てくれていた。
Yちゃん : ウン。ぼく、お薬出すー! Bちゃーん、お薬飲むよー!
B : ハーイ!
――タオルケットからニコニコと出てきて薬を飲んだ。飲んだ後、Yちゃん、Yちゃんママ、眠りねずみ、のみんなで拍手。
Bは、毎日4錠(1日4回)のブルフェンと、1週間に1回、3錠のメソトレキセート、その翌日に2錠のフォリアミン、この3種類を内服しています。今は痛みも関節症状もほとんどありません。痛みなどないので、本人は「何で私だけ薬を飲むの?」と思い、納得できていないのかもしれません。
これからも何度かこんなことはありそう。お薬の必要性を話す正攻法と、お友達やジュースやお菓子で釣って、なだめたりすかしたりするその場しのぎと、両方使って、お薬を飲ませていきたいです。
2005年8月26日、次女Bの幼稚園用上履きを買ってきました。2足目で15cmのもの。1足目は14cmだったのです。大きくなってるんだなぁ、と、うれしい。
Bは小柄です。どのくらい小柄か、というと、このくらい。
出生時 : 49.0cm、 2970g / この時は標準です。
3ヶ月検診時 : 56.0cm、 5680g
→ 検診時のDrに「お母さん、赤ちゃんを大きい順番に並べたら、この子は100人中100番ですよ」と言われました。私が「・・・で、何か問題があるんですか?」と聞いたら、「イエ、発達には問題ないし・・・」ということだったので、私は心の中で「そりゃ100人に順番つければ、1番も38番も100番もいるでしょうよ」と、あまり気にしませんでした。
2歳4ヶ月 : 79.8cm、10kg / JRAということがわかった頃です。
→ JRAの主治医に「この子の身長が低いのと、JRAは関係あるんですか?」と聞きました。
Dr「JRAで引き起こされる炎症状態が続くと、その影響で身長が伸びにくい状態になります。治療のためにステロイドを使うと、もっとハッキリ、成長障害が起こります。だから、多関節型のJRAに安易にステロイドを使わないことが、世界中の、一般的な治療のポリシーです。ステロイドを飲んでなくて、JRAの炎症状態も落ち着いたら、成長障害は回復し、成長期であれば本来の成長曲線まで戻ることが可能です。」ということでした。
3歳2ヶ月 : 85.6cm、12kg /幼稚園年少組の入園グッズの準備をしなければなりませんでした。
制服はSでぶかぶか。でもまあ、ご愛嬌、って感じ。
一番困ったのは上履きでした。この時、次女Bは12cmの靴でとても気にいってるのがあって、そればかり履いていました。
上履きは、小学校の上履きみたいなもの(いわゆるバレエシューズ)、という指定がありました。あちこち靴屋さんを回ったけど、そのタイプのものは、15cmからしかありませんでした。
幼稚園の先生に「外用の靴を上履きにしていいですか?」と聞いたら「上履き、と一目でわかるほうがいいんです」とのこと。泣きたい気持ちで靴屋めぐりを続けました。
3歳3ヶ月
気に入ってた12cmの靴がきつくなって、13cmに切り替えました。13cmのものを、靴下はいて、ちょっと大きめなカンジで はいていました。この時(入園式直前)に、ある店に14cmの上履きがあったのです!
外出用の靴は13cmで、それもぶかぶかで履いているくらいですから、14cmの上履きを試しにはかせてみたら、やっぱり、もっとぶかぶか(T_T)。 かろうじて、すっぽ抜けない程度。
それでも「すぐに大きくなる、きっと。」と祈る気持ちで思ったことと、本人が「歩きにくくないよ。わーい、Bちゃんのうわばきー!」と喜んだことで、これを購入しました(←明らかに歩きにくそうでしたけど)。実際はいて園生活をしてみて、歩きにくくて転んだり、先生から「お母さん、これはちょっとあんまり・・・」と言われたら、外用の靴でなるべくシンプルなものを買おう、と頭のはしっこで考えながら。
そして、入園後、本人も先生も上履きについて何も言わず、私は「何とかなってるんだ」と、ホッ。
1学期が終わり、夏休みになりました。夏休み中に13cmの靴をきつがるようになり、14cmにしました。
先日、幼稚園の2学期の準備をしていた時、「まさかね・・・」と思いながら、ふと上履きを履かせてみると、なんとなんと、ピッタリ! 裸足の状態で!! 靴下はいたら、キツキツな感じです。今は裸足でもいいけど、秋になって靴下はいたら、アウトです。
そこであわてて上履きを買いに行ったのでした。ちなみに一番最近測った身長体重は、
3歳6ヵ月(先月) : 88.2cm、12.1kg
/ちなみに満2歳女児平均 : 88.1cm、12.0kg (幼稚園出席カードより)
次女Bは、JRAの炎症状態が落ち着いているおかげで、ゆっくりとでも(成長曲線の下限ぎりぎりです)、身長が伸びているようです。少関節型で、ステロイドを使わないで治療を進めていけるのも幸いです。
Bはもともと1月生まれだから同級生の中で小さいのは仕方ないことです。加えてJRAの影響もあるから、小粒ちゃんなのは、なお仕方ない。それはわかっています。それでも、1学期に同じクラスのお友達と手をつないだ写真を好意でいただいて、頭一つ分身長が違うのを見ると、「こんなに・・・」と、いまさらながらショックを受けたりもしました。
私、ノンキな母さんですし普段は自分の子だけ見てるので、小さいのを特に意識していないんです。集団の中でのわが子を見て、改めて気づくんです。
他の子に比べたらやっぱり小さいけど、それでも次女は1学期で上履きを買い換えなければならないほど、成長していました。
成長が実感できて、とてもうれしい買い物でした。
次女Bは2歳で発病、治療を開始して約半年で関節症状がなくなり、約1年で血沈やCRPが徐々に下がって、正常化した。
ところがその後、インフルエンザをきっかけに血沈が高くなり、以後、高値が続いている。関節症状が全くない時もである。データは以下の通り。
2005年
3/7 血沈18,CRP(−),疼痛腫脹熱感なし、
2月の血沈も17で、バッチグー \(^^)/
/8〜12 インフルエンザ、MAX40.3℃
/10 血沈42,CRP 1.42
← ここで血沈が高いのは、インフルエンザのせいなので、当然。
/13 熱なし
/14〜16 風邪による熱:MAX 39.3℃
/17〜22 熱なし、咳あり
/22 T:39.3℃(翌日耳鼻科受診、以後熱上昇なし)
4/4 血沈67,CRP 0.32 鼻汁続いている。
←3月はずーっと熱出してたようなものだから、ここで血沈が高いのは
仕方ない。まだ鼻水も出てるし。
5/9 血沈50,CRP 0.07
←あれ? 4/4以降は熱出してないけど、まだ血沈高いナァ。
鼻水は続いてたからかな? でもCRPは低いのに・・・
/24 血沈43 ← 鼻水もないし、風邪引いてないし、なんで???
31日の異変の前触れであがっていたんだろうか???
/31am 左手首・手甲,左足首・足甲に腫脹・発赤・熱感・痛みあり。熱なし。
pm 関節症状消失。
夜 全身に蕁麻疹様の発疹あり。掻痒感つよい
Dr「蕁麻疹を起こさせた何か(ウイルス?細菌?)が、関節にも悪さをして、関節症状が出たのかもしれない。ハッキリとはわからないが・・・」
6/1 皮疹わずか、関節症状なし、熱なし。
/2 T:40.0℃,坐薬挿入で解熱する。以後熱上昇なし。
/6 血沈54,CRP 0.36
← 熱が出たばかりだから、血沈高いのもやむなし。
/8〜9 咽頭炎による熱:MAX 39.0℃,
耳鼻咽喉科で抗生剤他処方してもらう。
/10 熱なし
/12 熱なし「耳が痛い」→右耳のみ中耳炎との診断。抗生剤変更
7/2〜5 風邪による熱:MAX 40.2℃
/4 血沈65,CRP4.52
←血沈が高いのは、風邪による熱上昇の最中なので、当然。
8/8 血沈46,CRP 0.22(−)
←7/5以降、熱上昇なし,関節症状なし、元気いっぱいなのに、なぜこの血沈!?
3月はともかく、4月以降の血沈上昇の理由は何だろう? CRPはそう高くないというのもまたわからない。
「風邪など単発的な出来事(の影響による血沈上昇)」が重なったと解釈しても説明がつかないのは、5/9,5/24,8/8。オマケして考えて、5/9は風邪が長引いてた、5/24は31に出た異変がもう体の中で起こっていた、と考えても、それでも説明がつかないのは8/8。肝機能問題なし、貧血もなし。
主治医も「わからない。どこから切り込んでいいのかもわからない」と頭を抱えている。 関節症状もなく、本人は元気いっぱいなので、さほど切羽詰まってはいないが、原因不明の血沈高値が、何か(再燃とか)につながらないか、不気味に感じる。
本当に一体、何なんでしょう???
わからないままでもいいから、このままなーんとなく、すこーしずつ血沈が下がらないかな。。。
次女Bが熱を出します。これについての解釈が、夫と私では違います。
【眠りねずみの解釈】
熱を出す原因は複数ある。影響度が強い順に挙げると
1.
今年、「幼稚園年少さん」という初めての集団生活に入った。
2.
長女の耳鼻科診察に連れてゆく、JRAの診察のために大きな病院に行く、などで菌をもらってきてしまう。
3. JRAのため、免疫機能がアンバランスに働く。
4. MTX(メソトレキセート)の影響で免疫抑制状態にある。
5. 長女が小学校から、夫が職場(学校)から、菌を連れてくる。
熱を出す頻度は、確かに少なくはないが、幼稚園年少さんとしては、この位は普通。
長女Aも保育園に行きはじめた最初の1年は「保育料返して・・・」という位休んだ記憶がある。ひどい時は一月の半分とか。
【眠りねずみの夫の解釈】
熱を出すのは、他の子どもたちよりも風邪をひきやすいから。風邪をひきやすいのは、MTXを飲んでいるから、免疫を抑えているからなので当然。JRAで免疫機能が狂っていることも影響しているだろう。
Bはしょっちゅう熱を出している。フツウの子はこんなにしょっちゅう熱は出さない。ただ、これはこの子の場合、仕方がないこと。
実際に熱を出したのは次の通りです。
《JRAとわかる前》
発熱 関係ありそうな出来事
0歳 6ヶ月 初めての発熱/風邪症状 : この2日前に人混みに出ている
0歳11ヶ月 発熱/風邪症状 : 年末で、人混みに外出した。
1歳 1ヶ月 インフルエンザ
治って1週間後 突発性発疹
1歳10ヶ月 発熱/風邪症状
2歳 0ヶ月 インフルエンザ
2歳 1ヶ月 発熱/風邪症状
《JRAとわかった後》
2歳2ヶ月 JRAによる関節症状発現
2歳2ヶ月 水疱瘡(関節症状出た2週間後)
2歳3ヶ月 JRA診断つけるための検査入院
2歳3ヶ月 発熱/風邪症状(検査入院からの退院3日後)
2歳4ヶ月 MTX開始、徐々に増量
2歳6ヶ月 MTX 7.5mg/体重10kgに対して
2歳 7ヶ月 発熱/風邪症状 : 3日前に長女の耳鼻科受診に一緒に行っている
熱の5日後 蕁麻疹のような腫れが顔,お腹,背中,両腕,太ももに出る
2歳6〜7ヶ月 咳。後にマイコプラズマと判明
2歳 8ヶ月 発熱/風邪症状 : 2日前に子ども集会に参加
2歳11ヶ月 発熱/中耳炎 : 前日に我家に長女の友人を8人呼んでクリスマス会
3歳 2ヶ月 インフルエンザ : 前日にJRAの定期の診察
治って1週間後 発熱/風邪症状
治って、3日後 発熱/咳
3歳3ヶ月 幼稚園入園
3歳 4ヶ月 発熱/蕁麻疹のような腫れが全身に
3歳 5ヶ月 発熱/中耳炎 : 2日前にJRAの定期の診察
3歳 6ヶ月 発熱/風邪症状
3歳 8ヶ月 発熱/ヘルパンギーナ : 前日にJRAの定期の診察
治って2週間後 発熱/風邪症状 :2日前に長女の耳鼻科受診に一緒に行っている
書き出してみて改めて、長女の診察に次女を連れて行かなければ、JRAの診察に行かなければ、人ごみに出かけなければ、ほとんど風邪なんてひかずにすんでいるのでは・・・と思ってしまいました。
姉がいる以上、JRAである以上、社会生活を送っている以上、そんなこと無理なんですけどね。。。
私がそう言うと夫は「なんだかんだで菌やウイルスにさらされるのは、他の子だって同じ。でも他の子はこんなにしょっちゅうは熱を出さない。でもこの子は熱を出す。それは免疫抑制状態にあるから、仕方ないんだよ。」と言います。
本当にそうかナァ? JRAのない子でも、0〜1歳の時は年1〜2回、2歳の時は2ヶ月に1回くらい(冬はもっと)、3歳もしくは幼稚園や保育園に行き始めた年は毎月のように、熱出している、というのはよくあるパターンだと私は思います。もちろんもっと丈夫な子も、風邪ひきやすい子も、いるでしょうけど。
他の人はどうなんでしょう??? こういうの、誰か調べてないかなァ? 「小児膠原病の幼児と健常児における感染による発熱の頻度の差」とか。知っている方、教えてくださいませ。
先日、次女Bの幼稚園の運動会が終わりました。幼稚園の年少さんです。
徒走はニコニコとビリから二番目、技走も闘争心まるでなしで、たのしーくビリでした。
よしよし、それでよし。\(^o^)
「あぁ、1年前は足を引きずってて、走るなんてとてもできなかったBが、ニコニコ走ってる・・・」
これだけで胸がいっぱいになって、うれしくて、ただうれしくて。
でも一方で、複雑な気持ちになった部分もありました。年長さんが発表するマーチングと組体操。準備の時、子どもたちが持つ楽器を持ってみて「こんなに重いのか」と驚きましたし、本番を見たときは、立派な演奏、体操であればあるほど、「今の調子なら、Bはこれに参加できるだろか??? 何でも、ってのは無理に決まってるけど、マーチングならタンバリンで、組体操はピラミッドには参加しないでブリッジだけなら。。。 でも、この本番に至るまでの練習って、結構長時間だろうな、やっぱり無理かな・・・」とか。
年長さんのお母さんが「こんなに上手に」って涙うるうるでビデオをまわしているのを見て、「無条件にマーチングと組み体操を見つめられて、子どもの雄姿に感動できて、いいですね」って心の中でつぶやいて、そんなひがみ根性の自分に嫌気がさして落ち込んだり。
幼稚園の先生が上気した面持ちで「年長さんのマーチング、すごくよかったですね! 2年後は、今の年少さんがあれに取り組むと思うと、楽しみです!!」とおっしゃるのに対して「・・・Bは参加できるかどうか、わかりませんけどね。」と心の中でツッコンで、そんなの、先生にツッコンだって仕方ないじゃない、とまた自分にツッコンで、「ま、ホントに口に出してないからいいか」と、ハハハと一人で空しく嗤ってみたり。
・・・はー。_| ̄|○
でも、何事もなく運動会に参加でき、運動会が終わった後も体調を崩していない、これだけで、ありがたいことだともひしひしと感じています。「運動会や遠足で悪化した」「運動会の練習がキッカケで再燃した」こういうのは、今までもよく聞いていましたし。
来年も運動会に参加できますように。
「リウマチシティ」というサイトにある「リウマチャーに100の質問」に回答してみました。リウマチャーである次女Bの回答(本人が言ったこと、または眠りねずみによる代返または眠りねずみから見たところによる推察)と、リウマチャーの母としての眠りねずみの回答を併記しています。
(基本編)
1.あなたのHNを教えてください。
B:ないです。 母:眠りねずみです。
2. HNの由来は何ですか?
母:自分が昔アマチュア劇団に入っていた頃の役名の一つです。
お芝居の名前は別役実の「不思議の国のアリスの帽子屋さんのお茶の会」
3. 性別は?
B:おんな。 母:女性です。
(医療編)
4.あなたの発症年齢は何歳代ですか。またはリウマチ歴は何年ですか?
母代返:Bの発症年齢は2歳、リウマチ歴は1年です。
5. 何がきっかけで発病したと思いますか。思い当たることはありますか?
母代返:発症の約1ヶ月前にインフルエンザにかかりました。
それが一旦治って、また風邪による発熱。JRA発症と同時に水疱瘡。
どれも関係あるのかないのか・・・ 私が被爆3世なので、Bは被爆4世です。
それも少し気になりました。主治医に聞きましたが、
「どれも、関係あるかもしれないし、ないかもしれない。わからない。」とのこと。
6. あなたのリウマチの主な症状は?
母代返:発症当時は左膝の腫れと痛みでした。発症半年後からどちらもありません。
ただ、発熱や蕁麻疹、腹痛などがあるときに、一時的に関節(膝だけでなく手首や足首も)
が腫れたり熱を持ったり、痛がったりすることはあります。
7. リウマチになる以前、リウマチという病気がどんなものかを知っていましたか?
母:病気の名前と主な症状程度しか知りませんでした。
8.あなたは何によってリウマチと確定診断されましたか?
母代返:@採血データで血沈,CRPが亢進していたし、抗核抗体が320倍。
A左膝のMRIで滑膜が厚くなっていることが確認された
Bルンバールやシンチで他の疾患の存在が否定された
これらを併せて考えてJRAだろうと言われました。
9. リウマチと診断された時、医師から病気の説明はありましたか?
母代返:はい。「大人と違って、子どものリウマチは治る可能性があるんです。
Bちゃんは少関節型なので、70%の子は完治するんです。
まずは完治を目指しましょう。」と言われました。
10. 今までどんな抗リウマチ薬を使ってきましたか?
母代返:メソトレキセートです。
11. 現在使用中の薬を教えてください。
母代返:メソトレキセート,フォリアミン,ブルフェンです。
12. 薬を処方された時、その薬の効果や副作用を調べていますか?
母:はい。本よりもネットで調べることが多いです。
13. 新薬を試してみたいですか。どの新薬を試したいですか?
母代返:いいえ。今は症状が落ち着いているので。症状が再燃したら試したくなるかもしれません。
14. リウマチの合併症がありますか?
母代返:いいえ。
15. どこかに変形はありますか。変形は発病後何年目くらいからですか?
母代返:変形ではありませんが、左膝は十分には伸びません。
発病した時からそうですが、振り返って考えてみると、発病数ヶ月前から、
食事椅子(トレイもついたもの)からするっと抱き上げようとする時に必ず
左膝をトレイにぶつけていたのです。「もう、またー。どうして膝を曲げる
のよ、ちゃんと伸ばしなさい。ぶつかるでしょう」と叱っていました。娘よ、ゴメン(T_T)
16. 人工関節は入っていますか。発病後何年に入れましたか?
母代返:入っていません。
17. リウマチ以外に病気(慢性疾患)を持っていますか?
母代返:今のところありません。
私が喘息様気管支炎の既往あり、夫はアトピーとアレルギー、長女はアレルギー性
鼻炎があるので、そのうち何か出ても不思議はありません。
18. あなたの治療法は何ですか。西洋医学・漢方・鍼灸 etc・・・
母代返:西洋医学です。
19. リハビリをしていますか?
母代返:お風呂の中で、親がゆっくり膝を伸ばしてやります。そのくらいです。
20. リウマチの痛みを軽減するために、何かしていることはありますか?
母代返:普段は痛みはありません。発熱時などで痛みが出たときも、何もできません。
21. あなたのリウマチは検査数値に現れるタイプですか?
母代返:血沈の高値と抗核抗体高値、C3高値としてでています。
リウマトイド因子はマイナスです。
22.主治医は治療にあたって特にどの数値に注目していますか?
母代返:血沈、CRP、C3だと思います。
23. あなたのリウマチは天候や季節に左右されますか?
母代返:左右されているのかもしれませんが、わかりません。
24. リウマチ日記(記録)をつけていますか?
母:風邪などの発熱時は熱や関節症状などの記録をつけて、定期の診察の時にプリントアウトして
主治医に持っていきます。
(大抵カルテにそのままペタリと貼られます)
採血データは「子どもリウマチノート」に転記しています。あとファイルを作って、処方箋、データを
プリントアウトした書類、先生のお話を聞き書きしたもの、小慢関係の書類などを綴じています。
25.女性ホルモンとリウマチとの関連を実感することありますか?
母代返:まだこどもちゃんですので、ホルモンとの関係はなさそうです。
26. 寛解を経験したことがありますか。それはどの抗リウマチ薬でですか?
母代返:まだ寛解に至っていません。寛解というか、完治を目指しています。
27. 寛解すると、今まで通りにリウマチ仲間とつき合えなくなると思いますか?
母代返:いいえ。JRAママ友同時の付き合いで、相手のお子さんが完治しても、こちらが完治しても、
私は付き合い続けていきたいと思います。相手が拒否したら、その時は仕方ないけど。
28. ステロイドの軟膏(ファルネゾンゲルなど)を使ったことありますか。効果はあった?
母代返:使ったことがありません。
29. お気に入りの湿布薬はどれですか?
母代返:湿布も使ったことありません。
30. いわゆる「民間療法」をしたことがありますか。どうでしたか、
続いていますか?
Bに対しては:したことありません。
母:私自身は、時々プロポリスを飲みます。
31. 通院時間はどれくらいですか?
母代返:居住市の病院へは車で20分。
専門医のいる他県の病院へは車だと3時間半、JR+タクシーだと1時間半くらいです。
32. 病院の待ち時間はどれくらいですか。その間何をして過ごしていますか?
母代返:居住市の病院だと待ち時間は約30分〜1時間。絵本が豊富なので、それを読んでやって
います。専門医のいる病院だと待ち時間は1〜2時間。絵本があまりないので、そこにある
オモチャやぬいぐるみで遊んだり、(夫も一緒に行ったときは)交代で散歩に連れだしたりして
います。
33. あなたの年間医療費はどれくらいですか?
母代返:ちゃんと計算したことはありませんが、今の居住市は3歳までは医療費は無料、
それ以降6歳までは1回受診につき500円なので、そんなに負担感はありません。
むしろ専門医に行く場合の交通費が大きいですね。こちらは年間で10万円は軽く
超えていると思います。
34. 主治医との関係はうまくいっていますか?
母代返:ベリグーです。
35. 転院をしたことがありますか。その理由は何ですか?
母代返:はい。JRAの診断がつく前の病院で、膝が腫れて痛がって泣いているBを目の前にしてDrが
「現在は大きな異常はありません。様子を見ましょう」と、採血もしない、痛み止めなどの薬も
出さないと言ったからです。「ここではわからないから」と他を紹介してくれることもなかったし。
36. セカンドオピニオンを受けたことはありますか?
母代返:いいえ。ただ、他県のJRA専門医が主治医ですが、そこから紹介を受けて受診している
地元の病院(交通費の負担を減らすため+地域で診てくれる先生を確保するため)もあり、
交互に通っているので、第一主治医、第二主治医、ってカンジかな。
37. 今の医療現場(病院・システム・医師)に言いたいことをどうぞ。
母:Drへ。自分が判断できない、これ以上何もできないと思ったなら、速やかにより適切と思える
ところに紹介して欲しいです。
また、どんな時はどこに紹介するかの知識も増やして欲しいと思います。
(気持ち編)
38. 自分の良い所、好きな所を3つ挙げましょう。
母から見て:Bのいいところは、明るいところ、はっきり自己主張をするところ、声がかわゆーい
ところだと思います。
母:私のいいところは、楽観主義のところ、料理がまあまあ上手いところ、勉強が楽しくできる
ところだと思います。
39. リウマチになって一番辛かった(悲しかった)ことは?
母から見て:一番はわかりませんが、関節の痛み、定期的な採血や検査は苦痛に思っていると思います。
母:娘がリウマチになって、母として一番悲しかったのは、スポーツや日常生活など、娘の人生に
ある程度の制限ができてしまう、その場面を想像したときです。
40. 反対に良かった・得をしたと思えることは何?
母から見て:うーん、なんでしょう? わかりません。
母:家族としては、Bが発病してから夫の帰りが早くなり、一緒に食事を摂れるようになりました
(でも一時的なもので、症状が落ち着いた今は、以前同様、遅い帰りとなってしまいました。
遊んでるとか浮気しているのではなく、仕事だから仕方ないんですけど)。
看護職としては、眠りねずみに勉強の機会、患者家族の気持ちを身をもって味わう機会が
与えられたと思います。自分の経験を安易に他の患者さんのケースに重ねてはいけませんが、
ここで味わった感情は、看護職として患者さんの目の前に立ったときの言動の中に還元できると
信じています。
41. リウマチになって性格が変わったと思いますか?
母から見て:いいえ。
42. リウマチにストレスは大敵!あなたのストレス解消法は?
母から見て:ウワーンと、顔中口にして泣きます。「それだけ思い切り泣けたら、さぞ気持ちよかろう」と
ほれぼれします。
母:リウマチではない私ですが、ストレス解消法は街をブラブラしておいしいランチを食べること
(一人でランチするの平気)、献血すること、本屋で立ち読みすること、宝くじを買って「当たった
ら・・・」と妄想すること。。。
43. どんな時に「リウマチであること」で落ち込みますか?
母から見て:自分がリウマチということがまだわかっていません。
母:子供たちが楽しそうにしている跳び箱、縄跳び、運動会での組み体操、TVで見るスキーに
ダイビング、こういうのを見ると「Bはこれができるかしら」と考え込んで、落ち込みます。
44. どんな時に「リウマチであること」を忘れていますか?
母から見て:どんなときに忘れるというよりも、自分がリウマチとわかっていないです。
母:仕事中。仕事している時は、家のこと・子どものことを全く思い出しませんので、必然的にBの
リウマチのことも忘れています。
45. 落ち込んだときの気分転換方法を教えて。
母代返:叱られてシュンとすると「あのね、Bちゃんはね・・・」となにやらぬいぐるみにごにょごにょ
話しかけています。あと、泣いていたりぐずっていても、アンパンマンが始まるとケロリです。
母:問42の「ストレス解消法」をします。あとは映画を観るとか、おちゃらけたサイトをぐるぐるまわるとか。
46. 何をしているときが一番楽しいですか?
本人曰く:幼稚園が楽しいです。
母代返:好きな遊びはままごとやお絵かき、迷路、パズル、かるた、絵本を読んでもらうこと。
おじいちゃんおばあちゃんや、姉、パパと遊んでいる時も本当に楽しそうです。
母:私自身は何をしている時が一番楽しいかナァ? 気持ちが安定している時は料理しても、
買い物しても、何しても楽しいし、逆に落ち込んでいる時は何しても楽しくないですね。
47. リウマチであることの今一番の「不安」は何ですか?
母代返:本人は「不安」はないと思います。
母:成長して、自分がリウマチであると自覚した時、健康な子と自分を比べて、いじけることに
なりはしないか、です。
48. 「リュウマチ」って書いてある物や、書いている人を見るとどう思う?
母:その後に続く言葉が、「リウマチの古い常識に基づくもの」ではないかな、と身構えながら続きを
読みます。
49. 「どこ」(手とか足とかの個所)がリウマチなのと聞かれたら、どう答えますか?
母:一番症状が出るのは左ひざだけど、それ以外の関節が痛むこともあるの、と答えます。
50. 親切心からだとわかっても、困るもの・困ることはありますか?
母:健康食品やサプリメントのオススメです。
51. 半分まで来ました、ちょっと一息入れましょうか。休憩のとき
飲みたい飲み物は?
B:ぎゅうにゅう!
母:じゃ、私はコーヒー下さい。
52. 飲み物に添える茶菓子は何が好き?
B:おせんべい!
母:ママ友Hさんが作ったコロコロクッキー
53. 一番言われたくない言葉・聞きたくない言葉はな〜に?
母:一番と言うほどではありませんが、「頑張って」と、「あなたたちなら乗り越えられると思って
神様が(JRAという)試練を与えられたのよ。」という言葉。
いろんな人から何度も言われて、以前は「どこをどう頑張ればいいのかわからない。」
「じゃ、自殺した人は本当は乗り越えられるはずの試練を乗り越えられなかったのか。」
「病気は試練じゃないよ、ただの偶然だよ。」など心の中でいちいち思っていました。
今はこれらの言葉の内容をいちいち考えるのではなく「この人は私を励まそうと思ってくれている。
ありがたいなぁ」と受け止められるようになりました。
54. これだけはわかって欲しい、と周りの人に思うことは何ですか?
母:Bは、怠け心で休んでいるわけじゃないの。
55. リウマチを理解してくれない人に対してあなたはどういう感情を抱きますか?
母:世の中にはいろんな人がいるから、仕方ないと思います。
56. 誤解が多い「リウマチ」という病名を変えるとしたら何がいい?
母:JRA/若年性関節リウマチからJIA/若年性特発性関節炎へと呼称が変わっていますが、
私は周囲の人への説明はJRAの方を良く使います。「関節炎」より「リウマチ」の方がイメージ
が伝わるかなと思って。
57. 杖や装具等を使っている人を見かけるとリウマチャーかも〜と思いますか?
母:脳梗塞後の半身麻痺かな、と思う場面の方が多いです。リウマチャーかも、と思うケースもあります。
58. 友達はリウマチ仲間、リウマチ以外の友達どちらが多いですか?
母代返:リウマチ以外の友達が多いです。
母:JRAに関係ない友人の方が多いです。JRAママ友数人とは、こゆーい話ができること多し。
59. 心を閉ざしてしまったリウマチの友達に言葉をかけるとしたら?
母:一緒にお茶しない?
(日常生活編)
60. リウマチになってからどんな仕事をしていますか?
母代返:幼稚園年少組に登園しています。
母:子どもの発病から1年半後に、3ヶ月間の契約で週3〜4日のパートさんを始めました。
内容は、看護学生の病院実習指導教員です。
61. 仕事をしていて(するには)キツイと思う(思った)ことは何ですか?
母代返:発病1年後から幼稚園の年少さんとして登園始めましたが、今のところ幼稚園がキツイと
いうことはないようです。
親は、遠足や運動会の時は「体調に変化はないか」ヒヤヒヤしながら見ていました。
特に変わりはありませんでした。
母:Bが検査を受ける必要がでたり、風邪をひいたり、そういうのが実際に出てくると、パートなら
何とかやりくりできるけど、フルタイムだと周囲(職場,夫の両親)にかける迷惑が大きくなりすぎる
かな、私が仕事するのはキツイかな、と思います。パートをほんの1ヶ月してみての感想ですが。
Bに「頼む、風邪ひかないで」「熱出さないで」と思いながら仕事をするという状況は、別にBが
JRAでなくても、小さい子を抱えて仕事しているお母さんなら、どこでもそうだとは思いますが。
62. リウマチ発症後に役にたった資格や免許はありますか?
母代返:三歳なので資格も免許もないざます。
母:車の免許を持ってて良かったと思いました。遠方の病院にも自分で連れてゆけるので。
あと、看護師の免許も持ってて良かったです。子どもの病態を理解するための基礎知識があると
思うので。看護教員の免許と修士号も取ってて良かったです。単発でもお仕事が舞い込むチャンス
が生まれるので。
63. 病院や公の場で、肩身の狭い思いをしたことはありますか? それはどんなこと?
母:Bをベビーカーに乗せてデパートの中を移動していて、久しぶりに会ったママ友に「あらー、
眠りねずみさん?! Bちゃん、まだベビーカーに乗ってるの!? ウッソー、もう三歳よね?
ベビーカーに乗ってるから、まさかBちゃんじゃないよね、と思いながら声かけたのよ。」と言われた
とき。わりと大き目の声で話しかけられたので、周囲の人に振り向かれて(別に周囲に白い目で
見られたわけでもないのに)私も大きめの声で「あれ? 言ってなかったっけ? Bね、若年性関節
リウマチっていう病気だから、長距離歩くと疲れてしまうのよ」と答えながら、何だか自分が聞かれて
もいないのに言い訳を言っているようで、情けない気持ちになりました。
64. あなたが体験した笑えるリウマチ的エピソードがあったら教えて!
母:特にないナァ。これから発見します。
65. 入院時の愉快なこと、困ったエピソードを教えて。
母:困ったのは、「イヤー! こわいーこわいー ねーなーいーっ!!」と泣き叫んでなかなか
寝なかったこと(たぶん昼間の検査や処置を思い出しておびえている)。
迷惑なので、毎晩、病棟を抜け出して別棟の喫煙・自販機コーナーに行きました。
いろんな病棟から眠れない患者さんが集まっていました。私やBも夜中の2時にたこ焼き食べて
ジュース飲んで。そこで会った患者さんは、誰もBや私のことを「寝ないなんて」「こんな時間に
2歳の子が」と責めたりすることなく、「おじちゃんが抱っこしてあげよう」「おばちゃんが追いかける
ぞ〜、きゃー」など楽しく遊んでくれました。不思議な空間・時間でした。
66. 現在、これが出来なくて困っているということはありますか?
母代返:特にありません。
67. 「もー、これは手放せないッ」という便利なもの、ありますか?
母:ベビーカー。朝、幼稚園バスまで送っていくとき、ショッピングで街をウロウロ歩く時は必須です。
そろそろギュウギュウですけど。入らないほど成長したら、どうしましょう。少しの距離なら普通に
歩けるし、疲れすぎないように使っている程度なので、車椅子は大げさだし。。。
68. 「こんなのあったらいいな!」と考えるリウマチグッズを挙げてください。
母:わかりません。
69. 料理をするときの工夫や、便利な道具、助言があったら教えて。
B:Bちゃんねー、きゅうりトントンできるよー。ほうちょうで、きるよー。
母代返:手には症状が出ていないので、料理は問題なくできます。
70. 身体が辛い時の、お助けレシピを教えて! 夕飯・弁当 etc
母:Bの通院で1日使ってクタクタで、何にもしたくない、そんな時は、だしの素を使ってかき玉汁、
焼くだけの魚(アジの開きやさんまなど)、ありものの野菜を切っただけのサラダ、並べるだけ
の副菜(冷奴やさつま揚げなど)、ほうらこれで一汁三菜だ。
71. 突然ですが・・・老後または身体が利かなくなったら生活(介護)はどう(誰にと)お考えですか
(希望しますか)?
母:Bの老後についてはBが考えるだろうと思って、そこまでは考えていません。
ただ、大人になった時に、身体的に不利になったとしても頭で勝負できるように、そこでお金が
稼げてゴハンが食べられるように、勉強が得意な子どもになるようには誘導していこうと思って
います。お金が稼げれば、サポートしてくれる人も雇えるでしょう。Bが大人になった時に体が
利かない状況になったとしたら、私が元気なうちは、私がサポートしますが。。。
72. 予算を気にせず旅行できるとしたら、どこに行きたいですか?
母:家族全員であすなろ会のサマーキャンプに行きたい。
73. 温泉がリウマチに効くと思いますか。温泉施設への要望があったら一言!
母:効く人には効くと思います。温泉施設への要望は、床を滑りにくいものにしてほしい。
74. 友達と食事をするなら、ケーキバイキングつきのフレンチ、老舗の蕎麦屋どっち?
母:友人によります。
75. 外出時に困ること、困るものは何ですか?
母:ベビーカーがひっかかる道路、ベビーカーをたたんで乗ろうとしても乗りにくいバス。
76. エスカレーターで必ず片側を一列空けるルールに疑問を感じませんか?
母:私の住んでいる、九州K県は、あんまりそのルールないような気がします。
77. 障害者手帳を持っていますか。あなたにとってのメリットとデメリットを教えて。
母代返:もっていません。
78. 介護保険の認定を受けていますか。メリット・デメリットを教えて。
母代返:もっていません。
79. 障害年金を受給しているか、受給したことがありますか?
母代返:受給していません。
80. 1日の睡眠時間はどのくらいですか?
母代返:Bの睡眠時間は、昼寝時間も合わせて12時間くらい。
母:私は6〜7時間です。
81. あなたは朝型、夜型?
母代返:どちらともいえません。
母:私は朝型。基本的に、朝4時起床よ〜\(^o^)/
82. ベッド派、布団派?
母代返:ベッドです。お父さんとお母さんの真ん中で寝てます。
(インターネット・情報編)
83. あなたのインターネット歴は何年ですか?
母代返:1年。ダブルクリックできる3歳児。
母:7〜8年かな。
84. 使用しているPCのタイプと、使用時に工夫していることを教えてください。
母:dynabookのノート型。工夫していることは特になし。
85.自分のHPを持って良かったと思うのはどんな時、どんなことですか
母:良かったと思うのは、HPを見た人から、ご意見ご感想のメールをいただいたとき。
あと、検査データの勉強は「HPの更新に今度こそ間に合わせなきゃ・・・」と、よろよろ
しながらしているので、「このストッパーがなければ、きっと勉強、途中でくじけてる」と思います。
86. リウマチについて調べ物をする時、まず見るのは医療情報提供サイトですか、体験談のある
患者の個人サイトですか?
母:医療情報提供サイトです。まずそこをナナメにさーっと見て、その後個人サイトをじっくり読みます。
87. 今までどんなリウマチ本を読みましたか。お薦めの本はありますか?
母:こどもの関節リウマチのおはなし
―若年性関節リウマチのお子さんをもつご両親のために―,
すぐに役立つ小児慢性疾患支援マニュアル、
どちらもオススメです。
(雑談・まとめ編)
88. あなたの好きな言葉を教えて。
B:はなびです。
母:人生万事塞翁が馬,棚からボタモチ
89. 大好きな食べ物、大嫌いな食べ物を教えて。
B:好きなのはいちごあめ。嫌いなのはピーマン。
母:大好きなのは溶けたチーズがにょにょーんと伸びるような料理、大嫌いなものは特にないが、
食わず嫌いはらっきょう。
90. リウマチになって、太った、痩せた、変わらない?
母代返:変わりません。
91. リウマチャーは美人だという説があるけど、本当かなぁ。で、あなたは?
本人曰く:Bちゃんかわいいよ。
母:母の目から見ると世界一可愛いが、世間一般の基準では、フツーです。
92. あなたは誰に(何に)似ていますか?
母から見たところ:アンパンマンに出てくるキャラクターのゆず姫。知らない人の前では、
「お母さんと一緒」に出てくるサボサボ。長女は「Bはハムスターに似てる」と言います。
母:眠りねずみは、自分では見た目はアンパンマン、性格はドキンちゃんに似ていると思います。
93. 選べるとしたら渋めのベテラン医師と若くてカッコいい医師のどちらを選ぶ?
本人に「おじちゃん先生とお兄ちゃん先生、どっちがいい?」と聞いたところ、
「おじちゃん先生がいい」だそうです。
母:いばりんぼうでないならどちらでも。
94. あなたの主治医は誰に(何に)似ていますか?
母:Bの主治医(JRA専門医)はアンパンマンに出てくる「古時計さん」、地元の主治医(小児科医)は
焼き鳥屋の親父さんに似ています。
95. 映画監督になれるとしたら、どんな映画を撮りたいですか?
母:全然イメージが湧きません。私は映画監督になれません(>_<)
96. あなたの目の前にリウマチの神様が現れました。さあ、思いのたけをぶつけてみましょう!
母:Bの体からリウマチを取り出して、私の体に入れてください。
97. 自分のリウマチの予後は明るいと思いますか?
母:Bのリウマチの予後・・・ 明るいとは思えないけど、暗いとも思いません。
なるようにしかならないし、なるようになる。絶望的な状況にはならないと信じています。
98. もしリウマチが治ったら何がしたい?
母:家族みんなで、北海道でスキー。
99. 今の夢は何ですか?
B:ケーキ屋さん
母:いつかフルタイムで仕事に復帰すること。
100. 最後に一言!
母:なんだかんだ言っても、私は幸せだナァ。人生は楽しい。
先日、朝5:30頃、私が1階で朝の支度をしていたら、2階から次女Bがグズグズ泣く声が聞こえた。
「あらー、早起きしたのね、何か言ってる・・・」と思った次の瞬間、Bが「いたいー、いたいー」と言ってるのが聞こえた。「朝の5:30に痛い!? 昨日は何ともなかったのに!!」と慌てて階段を駆け上がると、Bは「たべたいー、たべたいー、ハンバーガーたべたいー」と泣いていた。
そうか、「たべたい」が「いたい」と聞こえたんだ、その前日食べた○○バーガーがよほど気に入ったらしい、とわかって、へなへなと座り込みそうになった。大笑い。夫は寝ぼけたままBをあやしていたところに私がすっ飛んで上がってきたので、ビックリしていた。
【初めての採血】
次女Bが生まれて初めて採血されたのは2歳3ヵ月の時である。JRAかどうかを判断するための検査の一つとしての採血だった。
処置室から「Bちゃーん」と次女の名前が呼ばれ、「ハイ」と返事をした私がBを抱っこしたまま処置室に入ろうとすると、看護師さんが「あ、お母さんはここでお待ちください。」と、ひょいとBを抱っこして処置室に入っていった。
私は処置室のカーテンの前で所在なげにボンヤリ立っていた。私の頭はほとんど回転していなかった。JRAだという診断はまだついていないものの「たぶんそうだろう」と半ば覚悟していた。心は千々に乱れていた。
ほどなく、「イヤー、ギャーッ、ママー、ママー、イタイー、ヴァー」と悲鳴が聞こえてきた。それまで私が聞いたBの泣き声の中で、一番凄まじい悲鳴だった。思わず耳をふさぎたくなるほどの大声だった。私は自分の両腕で自分の体を抱きしめた。
「採血はどうしても必要な処置なんだから、ガンバレ」「すぐ済むから、暴れないで」心の中でつぶやきながら、私は泣けて泣けてしかたなかった。まだ2歳なのに、あんなに小さいのに、腕に針を刺されなきゃいけないわが子が哀れだった。訳もわからないまま大人に体を押さえつけられ痛いことをされる、その体験は彼女にとってどんなに恐ろしく感じられることか。あの子が感じる恐怖心を想像して、胸がキリキリと痛んだ。代われるものなら代わってやりたい、心からそう思った。
「可哀想に」と泣きながらつぶやく私に夫は「仕方ないよ」と困った顔で言った。「そりゃそうなんだけど」と答えながら、お互い、口に出してもどうしようもない言葉が行き交っている虚しさを感じていた。
実際かかった時間は、たぶん5分か10分か、そんなものだったろう。けれど私には1時間にも感じられた。
「終わりましたよ」と看護婦さんに抱っこされて出てきたBは、涙と鼻水とよだれでぐちゃぐちゃの顔だった。「ママー」と伸ばした腕には絆創膏が3ヶ所。抱きしめると、背中の肌着は汗で湿っていた。
「がんばった、えらかった、えらかった。」と私はBを抱きしめ、頭をなでながら、一生懸命笑顔を作った。心の中で自分もBと一緒にワンワン泣きながら、「私は母親だから、Bにとって安心できる存在でいなきゃいけない。子どもの前で泣いちゃいけない。」と自分に必死に言い聞かせた。「何でウチの子がこんな目に遭わなきゃいけないの」と誰かに怒りをぶつけたかったが、誰のせいでもないことはよくわかっていた。
【採血2〜4回目】
K大学病院での診察のたびに、採血は行われた。処置室のカーテンのむこうで、毎回、娘は凄まじい声で泣き叫んだ。出てくると顔は涙と鼻水とよだれでぐちゃぐちゃ。採血後の絆創膏は2〜3ヶ所。汗で服はじっとり。
JRAという診断はついた後で、私は少しは腹を据えていた。とにかく、この病気と、これから付き合っていかなくてはならない。
娘の泣き声が聞こえると、落ち着かなかったけれど、「泣けて泣けて仕方ない」ということはなくなった。ただ、これから病気はどのように経過するのか、不安でたまらない気持ちはずっとあった。娘の凄まじい泣き声から彼女が感じているであろう恐怖心を想像し、可哀想でたまらず、こちらも目に涙が浮かんだり、憂鬱な気持ちで胸が重くなったりした。
【採血5回目】
JRA専門医がいるK大学病院は、私の居住県の隣県にあった。おおまかな治療方針が決まると、専門医に「毎回こちらまで通院するのは大変ですから、あなたの家の近くの病院とココと、交互に通院しましょう。」と言われ、C病院を紹介された。
初めてC病院で採血する時、私はビックリしてしまった。「はい、じゃあ採血しますから、お母さんはBちゃんを抱っこしてこの椅子に座ってください。」と言われたからだ。K大学病院で採血する時は、次女Bのみ処置室に連れて行かれ、私は中でどのように採血されているかもまるでわからない状態だった。
それに対して、C病院は採血は処置室ではしなかった。「採血コーナー」というような一画が中待合室にあり、そこはカーテンも何もなく、他の患者さんたちからも見える状態だった。私は看護師さんに「椅子に座ってBちゃんを膝の上に座らせて、採血しない方の腕と体をしっかりと抑えて下さい」と指示され、言われたとおりにした。Bの採血する方の腕を机の上に乗せた状態で看護師さんの一人が抑え、もう一人が採血をした。
私が抱っこした時はキョトンとしていたBだが、片方の腕と体を私が抑え、もう片方の腕を看護師さんに抑えられたあたりから異変を察したらしく、暴れ始めた。駆結帯(採血前に腕を縛るゴムチューブ)を結ばれると、これから自分が何をされるかハッキリと知った様子で激しく泣き叫び、暴れはじめた。2歳のこの子にこれだけの力があるのか、と驚くような力でもがき、私は必死で娘の体を抑えた。
大人は必死に抑える。娘は必死に身をよじる。格闘技そのものだった。
【採血6回目】
C病院で採血や診察をしたその次は、K大学病院受診だった。「どんな風に採血しているんだろう?」私は初めてそっとカーテンの隙間からのぞいてみた。
Bは処置室のベッドの上に仰向けに寝かされ、膝から下はベッドからはみ出した状態(膝は折れている)になった。医師はBの足元に立ち、自分の両膝でBの膝から下をはさみ、下半身が動かないようにし、同時にBの採血しない方の腕を押さえた。看護師が採血する方の腕を抑え、もう一人の医師が採血をした。Bは激しく泣き叫び、足をバタつかせ、身をよじり、抵抗した。医師や看護師は「おねがい、Bちゃん動かないで」「じっとして」「すぐ済むからね」と話しかけていたが、その声はBには届いていないように見えた。
【採血7〜18回目】
採血の時、C病院では私がBを抱っこして体を抑え、K大学病院では処置室の前で待つ。これが交互に繰り返された。Bは、どちらの病院でも採血のたびに泣き叫び、身をよじったが、最初のころに聞いたような、獣じみた凄まじい泣き方はしなくなった。それだけでも私はいくらかホッとした。
採血は2回で採れればいいほうで、大抵3回刺した。看護師さんが申し訳なさそうに「ごめんなさいね。もうちょっとじっとしていてくれるといいんですけど・・・」と言い、私が「こちらこそスミマセン。バタバタ暴れるものだから・・・」と受ける、これが繰り返された。
【初めての持続点滴】
冬、Bが風邪をひいた。グズグズと機嫌が悪く、なにも食べようとしないばかりか、飲もうともしない。夜に熱が高くなり、40℃を超えた。「明日の朝一番で病院に連れて行こう」と思ったら、その日は土曜日で、C病院の診察はない日だった。家族全員がかかりつけの近所の耳鼻科は土曜日も診察しており、Bも何度かそこで診てもらったことがあった。
朝からそこに連れて行って診察を受けたところ、医師が「うーん、飲み物も飲まないかぁ。いけないねぇ。よし、点滴しよう。」と言った。
採血でも毎回あの騒ぎなのに、点滴・・・ どうなることかと思ったら、案外短時間でできてしまって、逆にビックリした。この病院では、以下のようにした。
まず、バスタオルを広げた上にBを仰向けに寝せ、点滴をする腕だけ出した状態で、クルクルクルと看護師さんが巻いてしまった。まるでミノムシ。この状態で「お母さん、Bちゃんの体を抑えていて」と看護師さんに言われ、私はバスタオル越しにBを抑えたが、何せミノムシになっているので文字通り手も足も出ず、体全体が動かないように押さえるのは、いつもの採血よりもずっとラクだった。
1回目。私が体全体と点滴するほうの腕を抑え、看護師さんが点滴する方の腕を抑えながら、手の甲に針を刺した。しかし唯一出ている腕でBは必死に暴れるので、血管に入らなかった。1回失敗した看護師さんはあっさり「難しいから、応援を呼んできますね。」と別の看護師さんを呼んできた。
2回目。「お母さんは体だけ抑えてくださいね」と言われ、私は体全体を抑え、さっき失敗した看護師さんが点滴をつなぐ方の腕をしっかりと抑えた。Bは泣きながら暴れようとしたが、いつもの採血の時よりも、ガッチリ固定された感じで、安定感があった。針を刺す看護師さんは「一刺入魂」といった真剣なまなざしで針を刺し、刺した後、点滴のルートにつないで固定し、シーネ(手首が動かないようにする副え木みたいなもの)ごと包帯でくるくると巻いた。ここまで済むと、看護師さん2人と母親である私の3人の間でホウッと空気が緩み、顔を見合わせて笑顔が出た。Bはずっと泣き続けていたが「終わったよ」と声をかけると泣き止み、不思議そうに点滴でつながれた腕を振った。
この後点滴が漏れて、もう片方の手の甲に刺しなおしたが、この時も同様の方法でスムーズに点滴が始められた。
【採血19〜20回目/採血開始から約1年経過/3歳】
採血のたびに泣いて暴れるが、暴れ方はずっとおとなしいものになり、「泣き叫ぶ」が「泣き喚く」程度になった。採血は大抵、1回で採れるようになった。3歳になって血管が太くなったおかげか、暴れ方が減ったおかげか??? 採血が終わるとアメをあげるのが恒例になり、採血前に自分から「終わったらアメ?」と聞くようになった。
【採血開始から1年半経過/3歳半】
採血前
B : Bちゃん、チックン頑張るよ!
・・・でも、ちょっと泣いてもいいかしら?
私 : いいよいいよ。泣いてもいいよ。チックンがんばれ。
終わったらアメあげようね。
B : ワーイ。あめー、やったー!
採血中は泣くしもがくが「暴れる」というほどではなくなった。「泣き喚く」が「大声で泣く」程度になった。採血が終わったらすぐに泣き止むようになった。
ある時ふと、私はK大学病院の採血の前に、Bに「ママ、(処置室の)外で待っているほうがいい? 中に入って『Bちゃんガンバレ』って応援した方がいい?」と聞いてみた。この頃はだいぶ暴れなくなっていたし、もしかしたら私の顔が見えたほうがBが暴れないのではないだろうか、と思ったからだ。C病院では毎回私が採血を見るどころか体を抑えているんだし。
Bは「中で応援した方がいい」と言ったので「ようし、じゃ、チックンの横でママ応援するね。がんばるぞ!」と言うとBはニッコリ「うん、頑張る」と言った。その時、処置室から「Bちゃーん」と呼ばれたので、私は看護師さんに「今日は一緒に中に入ります。」と言った。すると看護師さんに「いえ、外でお待ち下さい。」と言われてしまった。私は「Bは横で応援して欲しいって言ったので、そうしてやりたいのですが、それでも外で待った方がいいのでしょうか。」と食い下がったが、にっこり、あっさり「ええ、外でお待ちいただいたほうがいいですね」と言われてしまった。
「『親は外で待った方がいい』とこの看護師さんが重ねて言う根拠は何だろうか? 聞きたいなぁ」と思ったが、外来は忙しそうで、それをココで聞くのは悪いような気がしたし「もしかして、親が横にいると見張られているような気がして採血がやりにくいのかしら?」と気を回してしまい、余計に聞けなくなってしまって、私は処置室の外で待つことにした。
待ちながら「Bに『横で応援するね』って言ったのに、嘘ついたことになっちゃった。」と私は悲しくなった。中に入れるかどうか、ちゃんと確認しないままにBに軽はずみな約束をした自分が悪かったのだ。
私は、K大学病院が親を処置室の外で待たせる理由は「親が子どもを抑えなくても、抑える人手は十分足りているから」「泣き喚く子ども見ると親が動揺し、親の動揺が子どもに伝わり、子どもが余計に動揺するから」「処置の時になまじ親が側にいると『見ていたのにママは助けてくれなかった』と子どもが思うから」だろうと勝手に思い込んでいた。だから「採血時に泣く子どもを見ても親が動揺しない程度に採血に慣れて」「子どもも採血の必要性を理解し、ママがいようといまいと採血は行われることだと覚悟している」ならば、親を外に出す理由はなくなるので、親子がともに希望するなら親は処置室に入れると思ったのだ。
看護師さんはどうして外で待つようにいったのだろうか?
私が想像した理由は3つ。
1. 看護師さんは、C病院では私がBを抑えているということを知らないから、「親の顔が見えたら余計暴れる
はず」と思っている。
2. 親が横にいたら、採血する側の気が散る。やりづらい。
3. K大学病院では、親は処置室の外で待つというキマリがある。
実際のところはどうなのだろうか? 聞けないままである。聞いてみたいが、忙しい外来の雰囲気の中で果たして聞けるだろうか。。。 自信ないナァ。その後、子どもも成長して、(4歳となった今では)私が側にいなくても十分頑張れるから、今更聞いたり、中に入ろうとしたりしなくてもいいかな。。。 でも「結局なぜなのか」がわからないままだから、何か、喉に小骨が刺さったままのような、スッキリしない感じが残るなぁ。。。
【採血開始から2年経過/4歳】
採血前に「チックンがんばるよ! でもちょっと泣いてもいいかしら?」と言うのが恒例になった。採血中は泣くし動くが、本人なりに頑張ってじっとしようとしている、でもやっぱり恐怖で動いてしまう、という程度になった。採血後は「あーあ、Bちゃん泣いちゃったよー」とばつが悪そうな顔をするが「泣いていいんだよ。チックンえらかったよ。頑張って強かったよ。」と褒めちぎるとエヘヘー、と照れたように笑って「よーし、Bちゃん、またチックン頑張るぞー」と言うようになった。
【採血に関して私が感じたこと】
初めての採血の時は、処置室の外で待つように言われていてよかった。
子どもがあんなに泣き叫ぶなんて予想していなかったし、子どもの泣き声を聞いて、自分があんなに動揺するとも思っていなかった。
もし、初めての採血の時に子どもの体を抑えるように言われていたら、子どもの暴れように驚いてちゃんと抑えられなかっただろうし、子どもが可哀想でたまらずに自分も泣きながら子どもの体を抑えることになって、子どもを余計に混乱させることになっただろう。
一方で、自分も子どももある程度採血に慣れた場合は、我家の場合は、子どもも親も両方が希望したのだから、子どもが採血される場に親がいてもいいのではないかと思う。
採血の方法としては、まだ説明が通じない2〜3歳児のときは、近所の耳鼻科でやってくれたバスタオルミノムシがよいのではないだろうか。ある程度大きくなって聞き分けが出来る年齢なら直接体を抑える方法でいいと思うが、それまでは、バスタオルでくるんでしまう方が、一番人手も要らず、子どもを抑える労力も最小限度で済み、採血そのものも確実に安全に短時間で済むのではないだろうか。
以上が現時点で眠りねずみが子どもの採血に立ち会って感じたことのレポートです。
ウチの子はこんな方法で採血されて、よかった・悪かった、子どもの体の抑え方で、もっといい方法を知っている、そんな情報をお持ちのあなたはぜひ眠りねずみまでお知らせ下さい。
4歳3ヶ月の娘に、JRAの話をすることにした。
今までは、こんな感じ。
眠りねずみ: Bちゃん、リウマチって知ってる?
B: 知らなーい
―――終了
眠りねずみ: あのね、Bちゃんはご病気なの。ちょっとそのお話しようか。
B: しなーい。
―――終了
これまでは、「本人も興味なさそうだし、理解できる年齢でもないし、ま、いいか。」と考えてきた。
しかし、4歳になり、ずいぶん語彙や表情もゆたかになってきた。年少から年中に進級し、体育教室や英語教室も始まる。彼女の世界はこれからますます広がっていくだろう。4歳なりの理解で良いから、「自分の病気はこういうもの」と知り、彼女自身が周囲に理解や協力を求めていくこと、その能力を身につけることはきっと彼女の生きる上でのチカラになる。親は、彼女の世界すべてに張り付くことは出来ないのだから。
ある夜、お風呂で。
眠りねずみ: Bちゃん、リウマチのお話しようか。
B : しなーい。
眠りねずみ: あのねぇ、Bちゃんの体の中にはねぇ、リウマチマンがいるんだよ。
知ってた?
B : えぇっ!? しらない。
眠りねずみ: リウマチマンはねぇ、いつもはおとなしくて、お座布団に座ってて
「おいしいお茶ですねぇ」とか「いいお天気ですねぇ」ってBの体の中で
ゆっくりお茶飲んでニコニコしてるんだけども、イタズラリウマチマンや
暴れん坊リウマチマンになることもあるのよ。そうなると、Bちゃんはどう
なると思う?
B : わかんない。
眠りねずみ: おひざイタイイタイになったり、からだキツイキツイになったり。
あれあれー、これは困りました。
B : B、いたいのイヤだー。
眠りねずみ: ほんとねぇ。ママも痛いのいやだ。
だから、Bの体の中のリウマチマンが、暴れん坊リウマチマンになろうと
しているかどうか調べて、もし暴れん坊になろうとしてたら、お医者さんに
相談しなきゃ。調べるの、どうやってやればいいかわかる?
B : わかんない。
眠りねずみ: Bちゃん、病院で時々調べてもらってるよ。
B : ???
眠りねずみ: ヒント。Bちゃんの血を調べます。
B : わかったー! チックン!!
眠りねずみ: ピンポーン! では第2問。ニコニコリウマチマンが暴れん坊リウマチマンに
ならないためには、どうしたらいいでしょう?
B : わかんない・・・
眠りねずみ: ヒント。ごっくん。
B : おくすりー!!
眠りねずみ: 大正解!
あのね、他のお友達の体の中にはリウマチマン、いないの。
だから他のお友達はBちゃんみたいにチックンに行ったり、お薬飲んだり、しないでしょ?
B : どうしてBちゃんの体の中にはリウマチマンいるの?
眠りねずみ: それがわかんないのよ〜。ママにもわかんない。お医者さんにもわかんない。
でも、ニコニコリウマチマンが暴れん坊リウマチマンにならないように気を
つけることはできるの。だから、ちゃんとお薬飲んだり、チックンがんばって
「ニコニコさんかな? 暴れん坊さんになろうとしてるかな?」って、調べて
もらったりするのよ。
B : Bちゃんのリウマチマンは、今、「おいしいお茶ですねぇ」なの?
眠りねずみ: うん。だってBちゃん、今どこも痛くないでしょう?
B : 痛くない。じゃあ、ニコニコリウマチマンだ。
眠りねずみ: そうだね。ニコニコだね。
――このあと、Bはおどけてお茶を飲むしぐさをしてみせ「おいしいお茶ですねぇ」と昔話のおばあさんのような言い方をして私を笑わせた。
その後、数回に渡って同じ話をし、次のようなことも加えた。
「カゼカゼマン(風邪)や、オナカイタイタマン(腹痛)は、Bちゃんの体の外から入ってきて、Bちゃんの体の中のゲンキマンがやっつけちゃうと、いなくなるけど、リウマチマンは違うの。ニコニコリウマチマンか、イジワルリウマチマンかに変わることはあるけど、ずっとBちゃんの中にいるの。だからリウマチマンと仲良くしていって、ニコニコリウマチマンでいられるようにしようね。」
「Bちゃんが疲れすぎちゃったり、お風邪ひいたり、そういうことでもニコニコリウマチマンが暴れん坊リウマチマンになりやすくなるの。だから、くたびれたら休憩しようね。お風邪ひかないように気をつけようね。」
「リウマチマンって一人じゃないの。たくさんいるの。増えたり減ったりもするの。一人一人が大きくなったり、小さくなったりもするの。リウマチマンが増えすぎないで、ちいちゃいかわいいニコニコリウマチマンでいられるといいね。Bちゃん、ちゃんとお薬飲んで、ゴハンもりもり食べて、いっぱい遊んで、疲れたら休憩して、そうしてニコニコリウマチマンでいさせてあげようね。」
「リウマチマン、いつかは、さよならーって出て行くかも。Bちゃんが大人になる前に、『お世話になりました』って出て行くかも。でも、さよならするとしても、カゼカゼマンやオナカイタイタマンみたいにすぐには出て行かないの。サヨナラするとしても、年長さん(1年後)のときはまだBちゃんの体の中にいるの。だからもうしばらくはリウマチマンと仲良くしようね。」
私の現時点での目標は、夏休み(約3ヶ月後)に、Bのイトコ(4歳、5歳、8歳)が遊びに来た時に、Bが自分の「リウマチマン」についてBなりに説明できるようになることだ。
次女B 4歳、幼稚園年中組。
ある日、Bが私に不満そうな顔でこう言った。
B : ねぇママ、○○ちゃん(年少組の子)はBよりも大きいよ。
Bは○○ちゃんよりも小さいから、すみれ組(年少組)だよ。
私 : そうね、○○ちゃんはBちゃんより大きいね。でも○○ちゃんはすみれ組(年少)で、
Bちゃんはひまわり組(年中)だよ。そういう決まりなの。
(――あぁぁ、自分が小柄だということに気づいてしまったね。。。 成長したよ、B。気づかなくてよかったのに(T_T) JRAで慢性炎症状態が続いてるから、どうしても成長障害が出て、きみは小柄さんなんだよ。。。 誰かに何か言われたかな?)
お友達が何か言ったの? Bちゃん小さいね、とか。
B : ううん、言わない。
私 : そうかー。よかった。
B : よくない。Bはすみれ組だよ。
私 : ううん、Bは年が大きいんだから。○○ちゃんは3歳で、Bは4歳でしょう?
4歳は3歳より大きいの。わかる?
B : わかんない。Bは○○ちゃんより小さい。
私 : (「年が上⇒大きい」ということをどう説明すればいいんだ!?)
んー・・・・
夫 : おばあちゃんはママより背が小さいけど、ママより年が上だから、ママはおばあちゃんに
「〜していいですか?」とか、丁寧に話すだろう? おばあちゃんの方が、ママより年が上で、
大きいってことだからだよ。わかる?
B : ・・・わかんない。
私・夫 : _| ̄|○
その後 数日にわたり、手を変え品を変えした幾通りもの説明。
結局、以下の説明で納得してもらえました。(;^_^A
私 : Bちゃんは○○ちゃんより背は小さいけど、お姉ちゃんなの。
○○ちゃんは、まだ自分で絵本読めないけど、Bは読めるでしょう?
○○ちゃんよりも、Bの方がお絵かきも上手でしょう?
先生のお話を、じいっとして聞くのも、Bちゃんのほうが、上手なはずよ。
だって、すみれ組じゃなくて、ひまわり組だもの。
○○ちゃんのほうがBちゃんよりも背が大きくても、Bちゃんのほうがお姉ちゃんだから、
Bは○○ちゃんにいろいろ教えてあげてね。優しくしてあげようね。
Bちゃんのほうが○○ちゃんより大きいってこと、わかった?
B : わかった。
はー、やれやれ。。。(*_*;
2005年9月、次女Bは幼稚園の年少さんの2学期が始まった。
2学期が始まって1週間もすると鼻水がではじめたので、「あー、早速何か(ウイルス)もらってきたかな〜」と思っていたが、熱が出ることもなく、元気にやりすごせた・・・と思っていた9月の中旬のこと。
【月曜日】
自分の住んでいる市のC病院(JRA専門医のいるK大学病院と連携してくれている)で、次女BのJRAの定期の診察(月に1回)を受けた。
Dr「うん、関節も調子いいね。きっと今日のデータはいいぞー!」
1時間後に出たデータ、血沈 55、CRP 1.07 な、な、なんで〜!?
Dr「JRAが落ち着いてないんだろうネェ。そろそろメソトレキセートの増量を検討したほうがいいかもね。
専門医と相談したほうがいいだろうから、とりあえず私はいつもどおりの量の薬を出しておくね」
とのこと。
関節症状も全くないし、元気に走り回ってるのに×××、と私は意気消沈してしまった。
すると病院から帰って3時間後、38.6℃の熱が出た。「ついさっき病院で診てもらったのに… ちゃんと先生、ノドも見てくれたのに…」と驚きながらC病院に電話、先ほど診てくれたDrに様子を伝えた。
Dr「診た時は感染症の兆候はなかったけどネェ。夏風邪の類かもしれん。
解熱剤持ってるなら、あんまり高い時はそれ使って様子見てごらん。
下がらないとか、あんまりきつそうな時は明日でも明後日でも連れておいで。」
このことをメールでJRA専門医に報告したところ、
JRA専門Dr「CRP1.07ですね。発熱は、やはり何かの感染症でしょう。
抗生剤で経過を見られてください。CRPがやたら増加するウイルス感染症もはやっています。」
とのこと
ちょうど家に、抗生剤があった(以前Bが風邪を引いたときに耳鼻科で処方してもらったもののあまり)ので、夕方からそれを飲ませることにした。
【火曜日】
朝の熱38.0℃。幼稚園を休ませて様子を見ていた。朝は普通に食べたが、昼食を食べようとしない。「お口痛い〜!」と泣く。昨日、ノド見てもらったときに暴れたから、舌圧子で傷でもできたかしら?と、ペンライトで口の中を見てみたら、喉の奥が赤くなってて、水ぶくれができてる!!
・・・うーん、何か小児の感染症なんだろうけど、病名までは私にはわからない。。。 コレは何?
近所の小児科に行った。(昨日行ったC病院は車で25分かかるところにあり、近所の小児科は車で5分のところにある)
近所の小児科Dr「ヘルパンギーナですね。昨日から熱出た?
38.6℃ね。それじゃあ、もうこれ以上、熱は上がりませんよ。
抗生剤もいりません。トローチだけ処方しましょう。」
眠りねずみ
−あぁぁ、JRAの悪化で血沈とCRPが上がってたんじゃなかったんだー、よかったー\(^^)/
でも念のため確認しとこう―
「これが昨日の血沈とCRPですけど、ヘルパンギーナで上がっていたということですか?」
近所の小児科Dr「いいえ。ヘルパンギーナでは血沈もCRPも上がりません。」
再びガックリ_| ̄|○
そのことをJRA専門Drにメールで報告したら
JRA専門医「ヘルパンギーナでもCRPが上がる子がいるけどなあと思いました。
治療中ですから、余計な細菌感染症合併は防ぎたいので、念のため抗生剤は
飲んでおいてください。関節症状がでてこないのであれば、再燃は考えにくいでしょう。
熱が早く下がりますように。」とのこと。
近所の小児科医の指示でなく、JRA専門医の指示に従うことにし、抗生剤は続行する。その夜、熱は39.5℃まで上がった。(近所の小児科の)Drのウソツキー! 抗生剤飲ませといてよかった・・・
【水曜日】
幼稚園は念のため休んだが、終日熱上昇なし、口の中は痛がるが、少しずつ食事は摂れる。
【木曜日】熱上昇なし、幼稚園登園させる。口の中の痛みはあり。
【金・土曜日】熱上昇なし、幼稚園登園させる。口の中の痛みは少し訴えるが、水疱はだいぶ減った。手元にある抗生剤はなくなったので、飲ませるのも土曜日でおしまい。
はぁ、やれやれ。これで終息しそう・・・ 結局、関節症状は全くでなかった。ひとまずホッ、と思ったら、今度は12歳の長女Aが38.3℃の発熱。
立て、立つんだジョー!! じゃなくて眠りねずみー!! (T_T)
(1) なぜ作ろうと思ったか
4歳の次女Bに自分の病気のことを理解してもらおう、と考えた経緯は、先に「リウマチマン ―4歳児へのJRAの説明―」として紹介した通りである。その中で述べたように「リウマチマンのおはなし」をすると、何度も「リウマチマンのおはなしして」とせがむようになった。
何度も話していたら、横で聞いていた夫が「せっかくだから、ストーリーにしてみたら」と言い出した。そうね、と、まずは いつも話している内容を繋げただけのストーリーを作った。ストーリーを話して聞かせると、Bはますます喜んで「リウマチマンのおはなし」をリクエストするようになった。
Bが喜んだことがうれしくて、「こんなに喜ぶなら、少しでもいいものに。」と思って、Bだけでなく長女のAや夫にも話して聞かせ、アドバイスをもらうことにした。「ココはこういう言い方のほうがわかりやすいんじゃない?」「ここは省いたほうがいいよ」などのアドバイスに沿って書き直して、そうしてBに話して聞かせた。
「そのうち飽きるだろう」と思っていたが、うれしい誤算で、Bが何度も何度もせがむ。私は女優だった(プロではありません。アマチュアの劇団)。観客がいると、熱が入る。たった一人の客だが、反応がいいので、私も熱演。私が何度も話して聞かせるのを横で見ていた夫が「せっかくだから、絵もあるといいね」と言い出した。
・・・絵? そうね、あるといいね。私の今までの聞かせ方から考えると、絵本っていうより、紙芝居の方が合いそう。でも私、絵は描けないよ。。。
(2) 絵を描いてくれる人との出会い
私は絵が描けない。でも絵が欲しい。絵が上手な知り合いも思いつかない。さぁ、どうしましょう???
まず思いついたのは、イラストや絵を描くのが好きな高校生や、絵が上手で、時間とボランティア精神がある大学生。きっと世の中にはそういう人がいるだろう。私の知り合いの中にはいないけど。ではそういう人と知り合えば
いい。
「そういう人と知り合う方法」すら思いつかなかったので、ネットの中に書き込んだ。
自分の子ども(4歳児)用に、紙芝居のストーリーを考えました。子どもが難病を持っているので、病気を理解する助けになれば、という目的です。
私は絵が描けないので、絵を描いて下さる人を探したいのですが、どのようにしたら探せるでしょう?
出版は前提としません。ボランティアで描いていただくか、ほんの気持ち程度のお礼を差し上げるか、
そういう前提で描いて下さる人を探すには、どのようにしたらよいでしょうか?
そしたら、「○○美術大学の卒業生用掲示板に書き込んで探してみたら?」というアドバイスをくれた人がいた。
その掲示板に行って、書き込んでみたら「お子さまのご病気に対して、とても前向きな投稿に思わずコメントしました。現在デザイン業をしています。私で宜しければ、ぜひご協力したいのですが」というメールをくれた方がいた!
その方とメールをやり取りすること約4カ月。Bの周囲の人に見せるのが目的の紙芝居と、Bが自分の病気を理解することが目的の絵本ができあがった。
紙芝居と絵本、2種類も作ることになったのは、絵を描いてくださる方のアドバイスとご好意によるものだ。
その方は私のストーリーを見た上で「このお話だと、お子さん自身にわかって欲しい部分と、周囲の人に
わかって欲しい部分が混じっているから、テーマを絞って、お話を2つ作った方がいいのでは?」という
アドバイスを下さった。お話を2つ作ったら、絵も余計に描くことになって、その方はより大変になるのに!!(>_<)
さらに、その方はストーリーがわかりやすいものになるように様々な提案をして下さった。
絵を描く時には「Bちゃんと何か重なる部分があったほうが親近感が湧くでしょうから、髪型か好んで着る服の
色か幼稚園のスモックか・・・ 何かをBちゃんと同じにしましょう」という配慮をして下さり、進行に関しては
最初にラフ画を描いてこちらに見せて修正点を確認してから本描きに入るという丁寧さ。
肝心の絵も、す、素晴らしい!!!
私は本当に運がいい。周囲の人に恵まれる運のよさでは天下一品?、と常々思っていたが、今回もそうだ。
画力も知性も誠実さもある、こんな素敵な方に絵を描いていただけるなんて。
Tさん、本当にありがとうございます。
(3) 紙芝居でJRAのことを伝えたい相手と内容
【伝えたい相手】 Bの周囲の幼稚園児(3〜5歳)
【伝えたい内容】◎最重要 ○伝わればラッキー
◎ ポンちゃん(主人公)の体の中には、リウマチマンがいる。
◎ リウマチマンが暴れると、ポンちゃんはきつい。
○ ポンちゃんがお医者さんに行く理由
◎ ポンちゃんの体にのっからないで。
◎ ポンちゃんがベビーカーに乗るのは、リウマチマンがあばれない
ようにするため。
○ ベビーカーに乗ったとき「赤ちゃんみたい」って言わないで
○ リウマチマンは、いついなくなるかわからない
(4) 絵本でJRAのことを伝えたい相手と内容
【伝えたい相手】 B自身(4歳)
【伝えたい内容】 ◎最重要 ○伝わればラッキー
◎ ポンちゃんが黙っていては周囲に伝わらない。
自分から伝えなくちゃいけない。
○ リウマチマンは気まぐれ。おとなしい時には悪さをしない。
◎ リウマチマンが暴れんぼうにならないために、ポンちゃんにできること
がある(ポンちゃんは無力ではない)。
◎ 周囲の人がリウマチマンのことをわかってくれなくても、気にしなくて
いい。
◎ ポンちゃんにはたくさん味方がいる。
幼稚園に次女を迎えに行ったある日、
先生「ちょっとちょっと、眠りねずみさん、すごいんです! 先日お預かりしていた紙芝居(ポンちゃんとリウマチマン)をクラスで読んだら、☆くんが、『Bちゃんには優しくしてあげないといけないね。リウマチマンがいるからね』って言ったんですよ!!」
眠りねずみ「わぁ、それは紙芝居で表現していることを受け入れてくれて、うれしいですね」
先生「☆君がですよ! あの☆君がそう言ったんですよ!!Σ( ̄□ ̄」
眠りねずみ「・・・そうですね、すごいですね(^。^;)」
先生「えぇ、スゴイですよ!!!」
☆君は、元気で、やんちゃで、幼稚園内でも有名な子です。
もっと具体的に言いますと、お友達と遊んでいて、手が出る・足が出ることが多い。先生のお話をじっと聞くことがなかなか難しい。先生に「○○しなさい」と言われても、言われたとおりにできることが少ない。
結果、クラスメートは
(`ε´)「☆君、キラーイ」
(-_-#)「☆君、また先生に怒られてるぅ」
その☆君の上記発言。
次女Bに聞いてみたら、☆君はBのことは決して叩かず、蹴らず、一切の暴力を振るわないとのこと。
眠りねずみ「へーぇ、じゃあBは☆君のこと好きでしょう?」
B「ううん、キライ(`ヘ´)」
眠りねずみ「どうして? だってBのことは叩かないし優しいんでしょう?」
B「うん、優しいよ。でも☆君は他のお友だちのこと、叩くもん。KちゃんやYくん、☆君に叩かれて泣くもん」
眠りねずみ「・・・そうか(;^_^A ☆君、他のお友だちのことも叩かなくなるといいねぇ」
B「うん」
☆君、暴力はいけないよ。Bに対してもいけないし、他の誰に対してもいけない。
でも、紙芝居を見て、「Bちゃんには優しくしてあげないと」と言った君の正義感が、おばちゃんはうれしい。
そしてそれ以降、本当にピタリとBのことは叩かなくなった君の決心の固さに驚いてる。
君が、負けん気が強くて正義感も強い、好青年に成長することを、期待している(*^−^)ノ
次女B、5歳1ヵ月にしてようやく・・・・ 初めて・・・
やったー! 泣かずに採血できたー(≧▽≦)
2歳の時に初めて採血され、その時、次女は獣のように泣き叫びました。私はあまりのすさまじさに驚き、次女が連れて行かれた処置室のペラペラのカーテンの外で、声を殺して泣きました。
あれから3年・・・
採血に慣れたのもあるでしょう。成長して血管が太くなって採血しやすくなってきたので、だんだん痛みが減ってきたというのもあるでしょう。子ども自身が成長して、採血に対する心構え・覚悟ができてきた、というのもあるでしょう。
眼圧測定もできるようになりました(^-^)v
(コンタクトの方はわかると思います。目に風がパシュッと当たるあれです)
眼圧測定、私もコンタクトを作るときにいつもします。痛くないと思うのですが、次女は
。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。 イタイーイタイーイヤーしないー!
と言い張って、ずっとできなかったんです。
それが久しぶりにできました。5歳1ヶ月の時点では、眼科的に問題なし。
血沈27(正常値は20以下)で、JRAのほうもまずまずの数値。Drにこの状態がしばらく続いたら、メソトレキセートの減量を検討しましょう、と言われました。
少しずつ、少しずつ、JRA卒業の方向にいけているという手ごたえを感じます。
次女の体の中のリウマチマン、おいしいお茶をどうぞ。 イタイタ棒なんか捨てちゃって、このままゆーったりとお過ごしくださいな。ゲンキマンと仲良くやってよ。眠りねずみが おいしいお茶菓子出すからさ。
桜の季節になると思い出すのは、泣き顔の私。
次女が左膝を痛がり、若年性関節リウマチを発症したのが、ちょうど3年前、桜が満開の頃でした。
リウマチは、朝、痛みやこわばりが強いのが特徴です。
朝、膝を痛がって抱っこをせがむ次女が可哀想で涙が出ました。
午後になると少し痛みがおさまって、足を引きずりながら笑顔で遊ぶのですが、足を引きずりながら笑顔というのが却って痛々しくて、涙が出ました。
泣いている私に気づいた2歳の次女が「ママ、アシ、アイター???」と心配そうに私の顔を覗き込んで足をナデナデしてくれると
「この子は『泣く』でまず『足が痛い』を連想するほど痛みが切実で身近なんだ」
ということがショックで、同時に
「自分の痛みから人の痛みを連想して優しくしてくれる、こんないい子が何でこんな目に遭わないといけないのか」
と病気を恨んで、涙が出ました。
外出すると桜がきれいで、花びらがひらひらと風に舞う姿は、それはそれはきれいで、
「私はこんなに哀しいのに、どうして、桜はこんなにきれいなんだろう」と、涙が出ました。
桜の下を笑いさざめきながら通る人たちを見て、
「私はこんなに悲しいのに、どうしてこの人たちは笑ってるんだろう」と思うと、その人たちがいるところは草原の中の花園で、自分はそこから遠く遠く離れた荒野の崖っぷちにいるような気がして、涙が出ました。
毎日、泣いて泣いて、頭のどこかで「涙って、こんなに流してもまだ湧いてくるんだなぁ」と感心しながら泣いて、「私、今までの人生で一番泣いてるなぁ。たぶん、今が人生で一番悲しいときだろうなぁ」と思いながら泣いて、ある日、
泣くの、飽きた( ゜∋゜)
泣いて治るもんじゃないし┐( ̄ヘ ̄)┌
(それは最初からわかってたけど)
支えてくれる人がたくさんいることがわかったしε=(。・д・。)
(それもわかってたことだけど、改めてわかったというか)
・・・とか思いながらも、しばらくは何かにつけ、めそめそ泣いてました。゚(T^T)゚。
根性ナシの性根は、そう簡単には変わりませんねσ(^_^;)
あれから3年。
桜を見ると、あの時の感情がのように押し寄せては来るけれど、亀の甲より年の功、波乗りも上手くなりました。
これからは、桜が散るまで泣き顔にならなくてすみそうです。
はー、心配していたことが解決しました。やれやれ。そもそも、何を心配していたかというと・・・
次女の目の周りの赤みが蝶形紅斑になって、SLEになったらどうしよう・・・
【解説】 約1週間位、次女の目の周囲が少し赤くなって、腫れぼったい感じになりました。それだけ。
でも私は、勝手に、
もしかして、これ、もっとハッキリしてきて蝶形紅斑(顔に出るチョウチョの形をした赤あざ)になったら
どうしよう。蝶形紅斑になったら、それはSLE(全身性エリテマトーデス;膠原病の一つ)の症状かも
しれない・・・と心配していたのです。
以前、次女はJRAの症状は治まってるのに血沈がずっと高いままで、その時にDrにこう言われました。
膠原病は二つ三つ重なることも珍しくないから、他の病気が隠れていないかも検査してみましょう。
そしてシェーングレン症候群や、キャッスルマン病を疑って検査して、結果はシロ。
(*_*) 一体何で、血沈が高いんだろうねー、何だろうねー??
「何で?」は解決しないまま血沈は徐々に下がりつつあって今に至っています。
さて、眼の周りの赤みは、約1週間くらいで自然に消え、JRA定期の診察の時にはすっかりなくなっていました。
でも心配で、診察の時にDrに聞きました。そしたら
蝶形紅斑ー!? ないない!γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ
だいたい、もし蝶形紅斑なら、眼の周りじゃなくて眼の下、鼻と頬にかけてでしょー。
眼の周りなら、敢えて言えばヘリオトロープ疹(皮膚筋炎の症状の一つ)か・・・
いや、それもやっぱり全くないね。今、(眼の周り)何ともないもんね。他の症状もないもんね。
と、笑い飛ばされました。
だって先生、私、蝶形紅斑なんて実際に見たことないし、心配だったんですよ〜。
と一緒に笑いながら、ホッ(*´Д`)=з
そう、自分でもちゃんとわかっていたんです。蝶形紅斑が全くわかっていなかったのはお笑い種としても、もしホントにSLEなら全身倦怠感とか微熱とか、関節炎とか、もっと他の症状がでるはず、と。
でも、「女の子だからSLEのリスクは大きい(女性に多い病気です)」とか、「蝶形紅斑でなくても、(SLEの症状の一つである)日光過敏症が眼の周囲に出たのでは?」とかなぜか考えがSLEへ、SLEへと流れていってしまって。
もっと大局的に見れば「次女は食欲もあるし、元気に走り回っている」とか「関節を痛がったりは全くない」の方がもっと大きな要素で、そう心配ないことは明らかなのに、「何か、眼の周りが赤い・・・・」、 そんなちっぽけなことだけに眼が吸い寄せられて、大きな視点でモノが見られなくなって。
(#⌒∇⌒#)ゞ イケマセン、イケマセン。
ちっぽけなものだけを突き詰めて、突き詰めて、周囲が見えなくなって、悪いことだけ想像して・・・・
ロクなことはありません。
小さなものをじっくり見ていって、その結果、見えてくるものが華麗叫子さまのライスチャームだったりしたら、楽しみもありますし、元気も出ますが、大抵そうやって見ていって、見えてくるのは拡大版の自分の不安とか、的外れな悪い想像とか、そんなものですね。
今後は、Drに
(・_・;) 眠りねずみさん、あのね・・・ と言われたとしたら
(´∀`) どのね?
とスウィート・ハニーフェイスで答えられるくらいの先入観のない、広い視野 を目指さなくては。そう、叫子さまのように。
華麗叫子さま? ライスチャーム? なんじゃらほいと思った方は、私のブログ「よかったさがし」へいらっしゃいませ〜( ^^) _旦~~
(こちらからジャンプできます→
★)
幼稚園グッズを片付けていたら、奥から薬箱が出てきました
(((゜д゜;))) こ、これは・・・・・
次女が年少クラスのとき、幼稚園に持っていっていた薬箱です。
次女は、年少の時は、朝昼晩に薬を飲んでいました。
なので、昼食後の薬を幼稚園に持っていく必要がありました。
まだ3歳なので、自分で管理することは、無理。先生に確認してもらわなければなりません。
私、考えました。
毎日、出席ノートに薬を貼り付けてもいいけど、ポロリと行方不明になるのも心配だし、
メンドクサそうだなぁ。もっと簡単に管理できる方法はないかしら・・・
クラスの中で一人だけ、毎日薬飲むのって、イヤかもなぁ。
少しでも楽しい気持ちで薬を飲む工夫ができないかしら?
ゆくゆくは自己管理しなくちゃいけないから、(飲んだのは先生に確認してもらうとしても)
「自分で薬をもって行く準備+飲む準備をする」ようにもっていきたいなぁ。
「私の薬」と意識づけをさせたいなぁ。
そう思って、考えたのが、薬箱での管理です。
1.薬局で販促品の薬箱をタダでもらってきました。
2.真ん中にメーカーのロゴがデーンとあったので、それがすっぽり隠れるシールを貼りました。左側にはお名前。
3.二段構成になっている薬箱だったので、上の段には、風邪薬(必要時のみ)とか、かわいい絆創膏を入れました。
4.下の段が、毎日飲む薬を入れるところです。
毎週月曜日は、全部の箱に薬が入った状態で登園
5.開けると、こんな風に薬が一粒ずつ入っています。
6.薬を取り出すと、下に「がんばったね」シール
飲み終わったら、先生が「から」をケースに入れてくれました。
(///∇//) なつかしいなぁ。
親の心配をヨソに、本人は「クラスで一人だけ薬を飲む」ことは一向に気にかけてないようでした。
先生がおっしゃるには
(・∀・) クラスメートが薬のことをからかいませんか?
(
´艸`) イエイエお母さん、むしろ次女ちゃん、尊敬されてますよ。
「粒のお薬がゴックンって飲めてすごーい」って。
本人も得意げですし、薬箱も「ほら、かわいいでしょう」って見せびらかして、「いいなー」って言われてます。
ということで、それを聞いて安心したり、「粒の薬が飲めて得意げって・・・」と複雑な気持ちになったり。
あの時は「やがて薬を飲まなくていい日が来る」なんて、考えもできなかったなぁ。
それが、年中組の時は薬が減って「朝晩」でよくなったから、幼稚園に薬箱を持っていかなくてもいいようになって。
年長の時にさらに薬がだんだんと減って、ついにはお薬ゼロになって。
今はお薬は飲まなくていいから、もうこの薬箱は必要ありません。
これから先、薬を飲む必要性が出てきた時は、もう小学生ですから、これではなく、また違った雰囲気の薬箱を準備してやりたいし。
だから、これは、もう捨てていいんです。
そう思いながら、日頃は捨て魔なのに、捨てきれずに幼稚園のお絵かき帳とかを入れている袋に、そっとこの薬箱を紛れさせた眠りねずみでした。
次女の通う小学校に、絵本の読み聞かせに行ってきました。
運動会前でもあり、いよいよ「ポンちゃんとリウマチマン」 !
今は次女の状態はとても落ち着いており、症状は全くありません。
でも運動会の練習をするにあたって、担任の先生にいくつかお願いしています。
☆1 かけっことか競技とか、基本的にみんながやるものは次女もさせてください。
☆2 直射日光の下、えんえんと行進の練習をするとか、何度も体操をするとか、
そういう時は本人が「休みたい」といったら休ませてください。
☆3 「直射日光の下、体育座りをしてじっと待つ」というような状況のときは、
できればテントの下など日陰にいさせてください。
(疲れすぎることや直射日光に長時間当たることが引き金となって炎症が起こったり、
今は落ち着いてる症状が再燃することを心配しているからです。)
このうち、☆2・☆3は何も知らない子から見たら
あの子、休み時間は走り回って遊んでたのに行進の時は休んでずるーい!
誰だって暑いの我慢してるのに次女ちゃんだけ日陰にいるなんてひいきだー!
とか、そういう誤解が生じやすい状況だ、と思います。
(担任の先生は、そういうことがないよう気をつけるとはおっしゃってくださいましたが)
私が「ポンちゃんとリウマチマン」をみんなの前で読むのは、
次女のリウマチマンがあばれんぼうにならないように、みんな協力してね
とお願いしておけば、
(というより、みんな知らない「リウマチマン」の存在を教えさえすれば)、
10の誤解が3の誤解くらいに減らせるんじゃないかな
(知らないことで生まれる誤解については減らせる)、
と期待してのことです。
そのような誤解は、本来、次女が自分で解いていくよう取り組むべきものかもしれません。
私はおせっかい母、心配性母すぎるのかもしれません。
ヽ(;´Д`)ノでも心配なんだ!
―私自身いじめられた体験があり、子どもがどんなに残酷か、イメージ力貧困で自分のモノサシでしか物事を判断しないか、思い知りました。
(´・ω・`)まだ1年生だし!
―直接次女に「ずるーい」とか言ってくれればまだ釈明のしようがありますが、次女の知らないところでコソコソ言われていつの間にか広がるとかには、次女一人では対応しきれないんじゃないか、と気を揉むわけです。
さて、今日の読み聞かせは次女のいないクラスでしたが、子どもたちは最初から最後まで真剣に聞いてくれました。
読み終わった後の私の話も、まっすぐな目でキチンと受け止めてくれました。
―読み終わった後の私の話―
(*^ー^) この紙芝居はゆうやけ幼稚園のポンちゃんの話だけど、この小学校にも
体の中にリウマチマンがいる子がいるんだ。1年◎組の眠りねずみ次女ちゃん。
次女ちゃんのリウマチマンは今はもう出て行っちゃったかもしれない。
グースカピーと寝ているのかもしれない。でも、もしかしたらまだ体の中にいるかもしれない。
それが暴れん坊になったら困るから、次女ちゃんは、運動会の練習のときに、みんなより
たくさん休憩したり、日陰に行くことがあるかもしれない。
で、おばちゃんからお願いがあります。
みんなは今日の紙芝居でリウマチマンのこと知ったけど、2年生や3年生でリウマチマンのことを
知らない人が「あの子ずるーい」とか言うかもしれない。
その時に、「あの子はリウマチマンが体の中にいるからだよ」って教えてあげて欲しいんだ。
それと、この紙芝居はリウマチマンのお話だけど、みんなの体の中にはリウマチマンは
いないけど、体の中にアトピーマンとかゼンソクマンとかいるお友達がいるでしょう?
(ぼくアトピー! おれぜんそくー!という声が何人かから上がる)
うん、そうなんだね。そういうお友達は、アトピーマンやゼンソクマンがあばれちゃったときは、
いつもよりたくさん肌がかさかさになったり、いつもよりたくさんゲホゲホが出たりするかも
しれない。それを「へんなの」とか言わないで欲しいんだ。
その子にはどうしようもないことで、アトピーマンやゼンソクマンのせいだからね。
この調子で、次女のクラスも含めて1年生の全クラスと、3年生と2年生各1クラスで
「ポンちゃんとリウマチマン」を読むつもりです。
(b^-゜)次女ちゃん、ママが打てる手は打つから、あとは自分の力で周りを味方にしていくんだよ!
(*゚ー゚)これがきっかけで、アトピーや喘息や他のいろんな病気に対して、子どもたちが安易に「ずるい」というのではなく、「仕方ないのかも」と考えられるようになるといいなぁ。
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