よもやま話 21~40 


エッセイ、日記、手紙、etc・・・ 

よもやま話21~40 目次

21.未遂 2010.06.11

22.父と血液型 2010.06.11

23.抜け殻2題 2010.7.18

24.カマキリの食事 2010.7.18

25.柿のカミサマありがとう♡ 2010.8.1

26.ワカメを湯がくと色が変わる理由 2010.8.1 

27.父の勘 2010.8.18

28.祖父とハンバーガー 2010.8.18
29.祖母とスパゲッティ 2010.11.13
30.38歳の誕生日 2010.11.13
31.
32.
33.
34.
35.
36.
37.
38.
39.
40.

21.未遂

私は小学校5年生の時、死のうとしたことがある。

原因は学校でのイジメ。

風呂場で母親が顔剃りに使っていた剃刀を手首に当てて、切ろうと思った。

そこで、自分の葬式を想像した。

私の名を何度も呼んで号泣する母親、ただじっとうつむいて涙ぐむ父親。

その光景がありありと浮かんで、ボロボロボロボロ泣けてきて、手首を切ることは出来なかった。



私が受けた仕打ちは、今思えば可愛いもので、

クラスの女子全員に下駄箱のところで囲まれて「天才ぶって」「かっこつけて」と責められるとか、

教科書やノートの端っこに少し「バカ」「死ね」と書かれるとか、

カンペン(当時流行っていた金属のペンケース)の表面をコンパスでぐちゃぐちゃに傷つけられるとか、

その程度。

今の私なら鼻で嗤って「くだらない」と言える。

でも、子どもで、学校が生活のほとんど全てだった私には重大な事態だった。

きっかけはほんの些細なこと。



先生に指されて国語の教科書を読むとき、方言のアクセントで読まないで、標準語のアクセントで読んだ(私は緊張するとそうなった)、

返してもらったテストの点数を隠さなかった。

        ↓
気取ってる、頭が良いと思ってうぬぼれてる、

となったらしい。

心配したクラスメートの一人が「わざとつっかえながら教科書を読むといいよ」「テストで悪い点を取るといいよ」とアドバイスしてくれたが、納得できない私は、どうしてもそれは出来なかった。

同じようにいい点数をとる、可愛いミワコちゃんはいじめられないのに、何で私だけ!? という気持ちがあった。



母親に「学校に行きたくない」と言ったが、いじめられてることは言えなかった。

母親は「学校は行かなくちゃダメ」と言った。



私は休み時間、昼休みと保健室や図書室に入りびたった。

保健の先生は笑顔で私を迎えてくれたし、

図書館で本に夢中になっている時は本の世界に入り込めたし、

その間は私は救われた。


何とか時間をやりすごしているうちに、偶然、父親の転勤があって、転校することになった。

そのおかげで、1年でいじめの中から抜け出すことができたが、あのままだったら私は壊れてしまったかもしれない。



今、あのときの状況を振り返って、思う。

私は決して「死にたい」と思ったわけでなく、「現状から逃げ出したい」と思っただけだった。

切羽つまっていたので、「逃げ出す」方法が「死」しか浮かばなかったのだ。



自死のニュースを見たり聞いたりすると、胸がえぐられる。

自死を選ぼうとする人の気持ちは、小五の私とそう変わらないのではないか。

別に死にたいわけではなく、逃げ出す方法が、死しか浮かばないという点において。



あの時、死ななくて本当によかった。


偶然、「転校」という「死」以外の逃げ道に恵まれてよかった。

今、世界は美しく、楽しく、デリシャスで、生きるに値する。

22.父と血液型

私の父にはプププなエピソードがたくさん・・・

中でも可笑しかったのは、血液型勘違い事件です。

私の父は長いこと自分の血液型はO型と信じ込んでいました(本当はB型だった)。

病院で「アナタ、B型ですよ」と言われたにもかかわらず、です。なぜそんなことになったかと言うと・・・

≪問題です≫
私の母;A型、私:O型、弟;A型、父;?の場合、可能性があるのは何型でしょう?


≪答え≫
 A,B,O


ハイ、フツーに高校で生物を勉強してきた方ならおわかりの通りですね 。



父はずっと自分の血液型を知らなかったのですが、私と弟が生まれた後に血液型を調べる機会ができました。

で、「B型ですよ」と言われました。私の父は中学しか出ていません。そこから勘違いが生じました。


【父の思考回路】

Σ(゚д゚;) なぜだ! 妻がAでムスメがO、息子がAなら、オレはAかOのはずじゃないか!
  ↓
( ̄□ ̄;)!! そうだ、病院が検査を間違えたに違いない!
  ↓
(?_?) じゃ、オレは何型だ? 

・・・・ムスメも息子もオレの子には違いない。とりわけムスメはオレにそっくりだな(*゚ー゚*)
  ↓
(#⌒∇⌒#)ゞ と いうことは、オレは0型だな。



Σ(・ω・ノ)ノ! ちょっとおとーさん、それなにっ!?

と私がこの思考回路にツッコミを入れるまで、25年以上、父は上記の通り信じてたんです。
(ずっと「自分はO型」と言い続けてたから、私も子どものころは父はO型だと信じてました)


私が長マメと短いマメの例えを出しながら

Aa×Aaの遺伝子は・・・ 優性遺伝子と劣性遺伝子が・・・ だからAO×BOの場合・・・

と説明したら、

( ゜∋゜) そげなこつは難しいき、よくわからん。

γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ じゃけど、つまり、AとOの子がおっても、Bの親がおっておかしくはないっちゃね!?


ヽ(`Д´)ノ おかしくない! おかしくない!

(*^ー^) そうか。オレはAとOの子がおったら親がBのはずはないから、医者が間違うちょるとばっかり思いよった。

(@Д@; ・・・おとーさん、「AとOの子の親がBのはずはない」と思い込んでたなら、それはそれで別の心配はしなかったの? おかーさんが・・・、とか。

(^▽^) そんげなこつ、あるわけねぇ。

で、一度も妻に聞いたり問い詰めたこともなかった、と。


ちなみに私が父に上記の血液型の講義をしたのは、私の結婚後5年以上経った後!

ヽ(;´Д`)ノ 血液型の謎について、自分の中でそんな風に決着をつけたまま、
私のこともあんなに可愛がり、私の結婚式の時にも涙してたのか!

自分の血液型について、もう一度調べようともしなかったのか!

そう思うと、もう可笑しいやら、あきれるやら、切ないやら、感心するやら・・・・
(もちろん私は父のムスメですし、父にそっくりなんですが)



私、父のこと嫌いな部分はいーっぱいあるのですが、それはそれとして、 成長過程で無条件に

≧(´▽`)≦ かわいい、かわいい。眠りねずみは本当に可愛い

という愛情を、視線・言葉・態度でいっぱい浴びてきた、というのは実感しています。

(@_@) 胸の内に血液型の謎を秘めたまま、あんなふうに私のことを可愛がったのね。
おとーさん、すごいよ・・・

(・・・いや、ただのノーテンキで本当に「医者の間違い」と信じ込んでいたのかもしれないが。それにしても、まーったく疑念が湧かないはずはなかろう・・・ 湧かなかったのかなぁ??? 結局、それは謎のままです

(;´▽`A`` まったく、お父さんには かなわないなぁ。

23.抜け殻2題

【2006年10月の話です】

うっふっふ。蛇のぬけがらもらっちゃったー。

へび

近所に住む義父母宅の庭に落ちていました。青大将かな?
途中でちぎれずにこんなに上手に皮を脱ぐのもすごいですよね。
子どもに見せたら、「わぁー、すごーい」と一緒に面白がってました。

でも一番喜んだのは私かも。

私、子どもの頃に一度、長崎の祖父母宅で拾ったことがあります。それ以来だわ~。
夫は蛇が大嫌いで、「あいつら(蛇)みんな、地球上から滅びてしまえ」と言います。

私が「えーそうかな~? にょろにょろしてかわいいじゃん。私、小学生の時、へび捕まえて川に放り投げたら、上手に泳いで感心したよ。へびが泳ぐ様子ってかわいいよね」と言うと、「信じられん」と。


そのあと今度は、バッタのぬけがら拾っちゃったー!

バッタ

背中が一直線に割れていて、きれーいに全部残ってるんです。両眼も二本の触覚も足のトゲトゲも。

バッタの抜け殻は初めて拾いました。
感動して「ほらほら、コレすごいよ!!」と子どもに見せたら、子どもは二人とも「ふーん、すごいねぇ」と気のない返事で、ガッカリ。

こんなに完全な状態で拾うなんてすんごく珍しいと思うんだけどなぁ。



24.カマキリの食事

【2008年10月の話です】

朝、庭に転がしていた剪定後の枝の中に、カマキリの姿を発見。

こんなところで何してんのかな? 
ココに卵産んだら、うっかり枝と一緒に捨てちゃうよ~

と思いながら、よーく見てみたら、

( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚ 

蟷螂

カマキリ、お食事中~!!

バッタのおなかの真ん中辺りをまあるくほじって食べていて、バッタの足はまだ動いています。

こ、こ、これは・・・・・(((( ;°Д°))))

((((((ノ゚⊿゚)ノ 次女ちゃーん、すごいモノが見られるよ!!!

と、慌てて次女を呼びました。だって、こんなシーン間近でナカナカ見られるものじゃないでしょ!?
うわー、すごいね、あごがシャクシャク動いてるね・・・ と、一緒にしばらく見つめていました。
その、約1時間後にやっと起きてきた長女と一緒に見に行ってみたら、

((゚m゚;) いたいた、まだ食べてる・・・

Σ(゚д゚;) おおぅ、今度はおなかじゃなくてアタマを食べてる・・・

(=◇=;) そしてアタマは半分くらい、なくなってる・・・・


と、ゆーことになってました。

(+_+) 昆虫に痛覚がなくてよかったね。
   おかーさんなら、自分が何かに捕まって一口ずつ食べられながら死ぬなんて耐えられない・・・

(゜□゜) え!? 昆虫は痛覚ないの!?
長女

(-。-;)ないよ。ほら、バッタは足が1本なくなっても平気でぴょんぴょん飛んでるでしょ?

など話している私と長女をおいて、

(@^▽^@) カマキリは ごーはんー♪ 次女ちゃんもごーはんー♫

と朝食に戻っていった次女。あっさりしたものです。

ともあれ、

親子でカマキリの食事シーンが見られてよかった。

【補足】
そもそも知覚神経系は、からだの中と外の状況を知るためのシステムで、様々な刺激を中枢神経系へ伝えることにで「生き延びる」ことに役立ちます。
で、刺激の中でも侵害刺激(怪我など)は“痛み”という意識を生じさせます。
生き物は末梢組織・神経と脊髄以上の上位中枢があれば“痛み”という感覚を認知する事ができます。
なので哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類はそのような感覚があると思われます。

でも昆虫に関してはそのような複雑な神経回路がないので、人間で言う“痛み=苦痛”は感じていない可能性が高いです。
また、痛みを感じるためには神経だけではなくそれに対応する脳も必要ですが、昆虫にそんな大きな脳はありませんから、「痛み」という意識はないとも言えます。

25.柿のカミサマ、ありがとう♡

【2007年12月のお話です】

眠りねずみ、干し柿作りに初挑戦、それが、無事、かんせーい\(^o^)/

干柿
なかなかのしわしわ具合です。


キレイなのから人にあげたので、我家用はちょっと不器量ちゃん
干柿2

でも、カビもせず、甘く美味しくできましたよ~(^o^)b

次女は大喜び。

(^0^)あまーい。最初はあんなに渋かったのにねぇ。不思議だねぇ。何で?

(*^▽^*)それはね・・・・・

そもそも柿が甘くなるのは一般的に果物が甘いのと同じです。

果物の中では直接糖分は産生されず、葉の中でスクロース、ソルビトールが生産されます。それが枝に伝って果物の中に蓄積されます。

渋柿はもともとそれらの糖分は沢山入っているのですが、渋み成分のタンニンがあり、甘く感じません。

しかし、干されることにより、渋柿の可溶性のタンニン(カキタンニン)が不溶性に変わって、(渋抜きされて)渋味がなくなり、甘味が強く感じられるようになるのです。その甘さは砂糖の約1.5倍とも言われています。

また、甘柿と渋柿とを比較した場合、糖度そのものは渋柿のほうがはるかに高いうえ、干し柿は渋柿の体積を縮めたものであるため、さらに甘みを強く感じるのです・・・・って、小学校高学年になったら教えてやろうσ(^_^;)

幼稚園年長の今、教えたってわからないもんね。

柿の神様が「甘くなれー」って魔法をかけるからよ。

Σ(・ω・ノ)ノ!柿に神様いるの~!?

:*:・( ̄∀ ̄)・:*: います。

(ノ´▽`)ノへー、おもしろーい!

ヽ(`Д´)ノ さあ、一緒にお礼を言いますよ。

(。-人-。) 柿のカミサマ、ありがとーう!

(^人^)  柿のカミサマ、ありがとーう!


26.ワカメを湯がくと色が変わる理由

【2009年3月の話です】

スーパーで、生ワカメが1パック128円!

(*゚ー゚*)うーん、塩まぶしのわかめでなく「ナマ」ってのが季節を感じさせるわ~
子どもの頃、母が生ワカメを湯がくところを見せてくれて、一瞬にして色が変わるのに目を丸くしたっけ。
ヨシ、わが子にもあの感動を!

ということで生ワカメをお買い上げ。お湯をぐらぐらに沸かして、

(〃∇〃)よーく見ててごらん。面白いことがおこるから

と、次女の目の前で投入しました。
赤黒いような茶色から、みるみる鮮やかな緑色に変わるワカメ。

(ノ゚ο゚)ノわぁーすごーい! ・・・・・で、このあとどうなるの?

( ̄□ ̄;)このあと? どうもならない。
ホラ、こんなに色が変わったでしょう。これを見せたかったの。

(‐^▽^‐)ふーん、そっかー。わかった。

と、スタスタスタと次女、退場。

(=◇=;)あれ!? 感動なし!? 私の前フリ、期待させすぎ!?

まぁ一応ビックリはしたけど、自分のイメージ―私の幼い日―のようには次女が感動しなかったので、何だか拍子抜けしてしまった私。

私のイメージはこんな感じでした。

―眠りねずみイメージ―

∑(゚Д゚)わぁ、すごーい! 何でこうなるの?

(-^□^-)それはね、これこれこういうわけよ。

o(^▽^)oふーん、そっかー。ワカメって面白いねー。

(まぁ、現実と大差ありませんが、「なんで?」「どうして?」という疑問が出てくるかな、と)



と、ここまで考えていて、フト気づいてしまった私。

(@Д@;そういえば、どうしてワカメの色が変わるのか、私、知らない。
 次女が疑問を持っても私のセリフの「これこれこういうわけよ」のところで詰まるじゃん。

で、ググッて調べてみました。私が調べたところによると、こういうわけでした。

【ワカメを湯がくと色が変わる理由】

ワカメに含まれる色素には、緑色のクロロフィルと黄色のフコキサンチンがあります。
ただし、このフコキサンチンは、生ワカメの時はたんぱく質と結びつくことで赤色の状態で存在します。
すると、生ワカメの状態では緑と赤が混ざることで褐色に見えます。
しかし熱が加えられることによってフコキサンチンはたんぱく質との結合がとれ、赤から(本来の)黄色に変わります。
しかし熱に強いクロロフィルは色が変わりません。
すると色素の上では緑+赤⇒褐色から緑+黄⇒緑になり、見た目が緑色になるのです。


(*^.^*)にゃるほどー・・・
 よし、先日は次女に見せたけど(長女はまだ帰宅してなかった)
 今度生ワカメ買ってきたら、長女の目の前で湯がいて見せようグッド!

と、「ワカメで子どもをビックリさせる作戦」、あきらめの悪い眠りねずみなのでした。

とりあえず、自分なりにワカメの色が変わる理由がわかってよかった (・ω・)b



27.父の勘

【2007年4月の話です】

私には、悪い癖がある。

それは、本当に困ったことになる前に困ること。

(*_*; ○○が△△になって、××になったら どうしよう・・・

-○○が△△になるかどうかもわからないし、仮に△△になったとしても、それから××になるかどうかもわからない。本当に××になったらそりゃ困るが、それは本当に××になった時に手を打てばいい。

理屈では、そういう結論はでている。
理屈では結論がでているけれども、感情の収まりがつかない。

-××になったら・・・ ☆☆にも気をつけた方ががいいだろうし・・・ いやいや、××になるかどうかまだわからないのに・・・ 

-△△について、もっと手がかりはないかしら? 調べてみようか。××対策について基本的なことだけでも調べておいた方がいいかな・・・ 

-いやいや、そんなことしたって、自分がますます混乱するだけかも・・・

また、そんな癖が出た。
どツボにはまったらイカン、と なんとか踏ん張った。
ぐるぐるぐるぐる渦巻く感情を壺に押し込んで、フタをした。

(;一_一)今考えたって、仕方ない。時期が来たらわかること。××にならないかもしれないんだし、なったらなったで、その時のたうちまわろう。

なんとか決着をつけたのに、フタの下でとぐろを巻いてる感情がゴトゴト動く。
収まりがつかない気持ちを紛らわしたくなったので、実家に電話した。

もちろん、私の心配事は言わないつもり。「元気~?」とよもやま話をして、10~20分して切るつもり。

(^O^) もしもし?

(°д°;) 眠りねずみか。なんか。どんげしたつか。←父
 ―眠りねずみか? 何だ? どうしたんだ?―

Σ(・ω・ノ)ノ! 何が? どんげしたつか、って・・・ どんげもせんよ。「お元気ですか~?」って電話かけてみようっち思っただけじゃけど。
―何が? どうしたんだって(言われても)・・・ どうもしてないよ。「お元気ですか~?」って電話かけてみようって思っただけだけど。―

(-゛-;) ・・・・・・何かあったっちゃねぇとか?
―・・・・・何かあったんじゃないのか?―

(^▽^;) 別になんもねぇよ~。お父さんは変わりねえと?
―別に何もないよ~。お父さんは変わりないの?―

(  ̄っ ̄) なんもねぇならいい。ちっと待っとけ。お母さんに代わるき。
―何もないなら、いい。少し待ってろ。お母さんに代わるから―

(^-^) うん。

で、その後、母と代わってフツーに会話して切りましたが、

ヽ((◎д◎ ))ゝ び び び・・・

 びっくりしたー!!!

私、最初に「もしもし?」しか言ってないのに。
別にしょぼくれた声じゃなくてフツーの声で言ったのに。
今まで、父がいきなりこんなことを言ったことはありません。いつもは

(・∀・)おぅ! 元気しちょるか?と、普通によもやま話をします。

父のカン、恐るべし。



子どもの頃、大好きだった父。
成長してからは、一方的な物言いや差別的な発言やわがままなところが目に付いて、イヤになったこともありました。

でもずっと、父は私に甘い父で、私と母が「○○ちゃんって美人だよね」という話しをしていると、「なんいいよっとか。眠りねずみのほうが美人じゃ。ずっと美人じゃ」と大真面目に言うような父でした。

私は不美人だけど、父が「かわいい、かわいい。眠りねずみは本当に可愛い」と言いつづけてくれたから、人に「ブス」と言われても、容姿に決定的なコンプレックスを持たずにすんだと思います。


お父さん、「もしもし」だけで私の苦しさに気づいて、心配してくれてありがとう。
お父さんの愛情って、すごいね。

おかげで、ずいぶん勇気づけられたよ。

お父さんの娘で、よかった。



28.祖父とハンバーガー

【2006年11月の話です

母方の祖父(88歳)が初めて我家によってくれました。
私の子どもたちにとっては、ひいじいちゃん。

今年の夏に祖母が亡くなり、しょんぼり、呆然としている祖父は痛々しかった。
でも、久しぶりに会うと、少し気持ちを持ち直したみたいで、ホッ( ̄_ ̄)=3

私の両親も一緒に来ました。10時ごろ着いて、お茶を飲んだり、私の次女と遊んだりして、さてお昼時。

88の祖父に、あえてM◎Sバーガーを出してみました(^^ゞ
(本当はお店で食べる方がおいしいけど、お店は緊張するだろうと思って、買って帰ってきました)

じいちゃんは田舎で農業をやってる人です。家の近くにハンバーガーショップなんてありません。

JAの旅行や集まりで、会席料理とかおいしいものはいっぱい食べてるだろうけど、普段も取れたての野菜や魚をおいしく食べてるだろうけど、ハンバーガーなんてたぶん食べたことないだろうから、面白がってくれるんじゃないかな、と思って。

私がテキトーに決めたメニューは以下の通り。

祖父・父・長女 → てりやきチキンバーガー
母 → フレッシュバーガー
私 → M◎Sバーガー
次女 → チーズバーガー
+長女にチキン1本、私にコーラ、次女にオレンジジュース、長女にウーロン茶、4人分のオニポテをみんなで分けて。

祖父と両親には、家で熱い緑茶を淹れてあげました。

祖父(*_*; ハンバーガーなんて、見たことも食べたこともなか。
       ・・・ムグムグ・・・ うん、うまかな

私(^^) アハハ、そうだと思った。たまには珍しいものもよかろう? おいしいなら、よかった。

意外だったのは私の両親(60代)が「私たちもハンバーガーなんて初めて食べた」と言ったこと。

私(;一_一) えー!? ハンバーガーショップ、街にあるでしょう? 行ったことないの?

両親(>_<) 行くもんかい。街に行って『あそこにハンバーガーの店がある』っていうのはわかるけど、じいさんばあさんで、そういう店に入らんよ。くるくる寿司とかうどん屋なら入るけど

・・・なるほど。そう言われればそうかな。

祖父も、両親も、初めてのハンバーガーを面白がって、おいしく食べてくれました。


・・・そういえばじいちゃん、私が高校を卒業する時、
「食べたことないから、フルコースっていうものを食べてみたい」って言って、私達家族全員とじいちゃんばあちゃんでフランス料理のお店にフルコース食べにいったことがあったね。

お店に予約の電話を入れて、人数を言って「全員、フルコースを食べたことがないから、食べ方がわかりません。それでもいいですか?」って言ったら、「もちろんです」ってお店の人が言ってくれて。

ドキドキしながら、精一杯みんなでオシャレしていったら、お店の人が、料理を一皿一皿持ってくるたびに「次は、このナイフとこのフォークで召し上がって下さい」って教えてくれたね。舌を噛みそうな料理の名前と、どんな料理かも解説してくれて。

その時のことを、じいちゃんは何度も「あれは面白かったな。お店の人が親切でいろいろ教えてくれたもんな。ナイフとフォークを肩より上に上げると、武器の意味になるけんダメ、とか初めて知ったもんな」と、言ってたよね。

じいちゃんはメインのお料理が運ばれる前にライスを全部食べてしまって「次の皿が来る前に食べてしまわにゃいかんと思っとった!」って大声で言って、みんなで大笑いしたね。

じいちゃん、まだまだ元気でいてね。じいちゃんにとって「初めてじゃ。おもしろか」ってこと、また一緒に楽しもうね。



29.祖母とスパゲティ

【2006年9月に書いたものです】

祖母との思い出はいろいろある。

私が子どもの頃、夏休みに母の実家に里帰りした時に、こんなことがあった。

里帰りした時は、いつもは母が掃除洗濯等の家事をしていたが、その日はどこかに出かけていて、お昼ご飯時に私と弟、祖母だけになった(祖父は仕事)。


祖母 よし、ばーちゃんが昼ごはん作ってやる。何がいい?

私 スパゲティ

祖母 スパゲチィ!? ・・・よし、わかった。

そして祖母は「そんなシャレた料理は、どうやって作ったらいいかわからん」とブツブツいいながら、スパゲティの麺を湯がき、

「そうだ、確かこうだろう!!」と言いながら、フライパンで麺を炒め、トマトケチャップをにゅーっとしぼり出したのだった。


祖母 さあ、できた。食べていいよ。

塩胡椒なし、具なし(^o^;)


私・弟 いただきまーす

祖母 どう? おいしいかい?


 ・・・うん、おいしいよ。ばあちゃん、ありがとう。

(←子ども心に「まずい」といったらばあちゃんがかわいそう、一生懸命作ったのに、と考えた)

弟 ・・・ボク、おなかいっぱい。ごちそうさま。


祖母 あれ、そうかい!? どれ、ばあちゃんも食べてみよう。

そう言って祖母はフライパンに残っている麺をつまんで、むぐむぐ、と一口食べてみた


祖母 おいしくない。今の若い人はこんなのがうまいのかい。ばあちゃんにはわからんよ。


そして自分用のソーメンを湯がき始めた。。。


そ、そんなぁ、ばあちゃん、私だってソーメンの方がいいよ・・・・と思いつつスパゲティを食べた私(*_*;

あの時、一生懸命食べた、ひたすらケチャップ味のスパゲティを思い出すと、笑ってしまう。


そうそう、ばあちゃんはクワガタムシやカブトムシが集まる木をよく知っていて、何匹も捕まえてくれた。

祖母 お前たちはここで待っとき。スズメバチ(樹液を狙ってよく来ていた)が来てるかもしれないから、ばーちゃんが採ってきてやる。

そう言い残して、腰を曲げ曲げ、草をかき分けて木に向かう祖母の背中をワクワクする思いで見つめてたっけ。


一緒に味噌を作ったとき、私が蒸した大豆をこぼしてしまい、母にこっぴどく怒られてるのを

まぁいいが、そんなに怒らんでも。ほら、十分できるできる

とかばってくれたこと。

小川で冷やしたスイカを食べて「おいしいね」と笑いあったこと。

私が牛小屋の二階で見つけた蛇の抜け殻を見せたら、

いいもん、見つけたなぁと頭をなでてくれたこと。それから、それから。。。


・・・ばあちゃん、いっぱい可愛がってくれてありがとう。

私がオトナになってからは、忙しさにかまけて、数年に1回会うくらいになっていたね。ごめんなさい。

安らかに眠ってください。これからも見守っていてね。

30.38歳の誕生日

【2008年3月のことです】

眠りねずみ、38歳の誕生日のことです♪


オットからのプレゼント

☆夕食作り(豚汁、炊き込みご飯、刺身)、後片付け
何が欲しい? という夫の質問に、私がリクエストしました)


長女からのプレゼント
コロン
ドリーム オン コロン「すんだ海の香り」

(*^^*)プレゼントにコロン・・・ 長女が女の子らしく成長したことを感じますねぇ


次女(6歳)からのプレゼント
script_magicalmaker,http://www.magicalmaker.com/js/mm.js.php?upwh=361786-1205128766-320-240
38ともなると、「おたんじょうび」ではなく「おおたんじょうび」・・・?


昨日、長女が私にプレゼントを渡すところを見て、ハッとした表情になった次女、慌てて描いてました(^m^)

みんなに「おめでとう」を言ってもらって、ケーキにロウソクふー!もやりました。

太いロウソク3本と細いの8本、ケーキがロウソクだらけ(*_*;

ちょうど日曜日で、夫が夕食を作ってくれたし、ゆっくりのんびりの誕生日。

ボチボチながらも、充実した楽しい人生で幸せだなぁ。




31.

32.

33.


34.


35.


36.

37.

38.


39.

40.



                               
《ホームページのトップに戻る》  《このページのTOPに戻る》   《よもやま話1~20へ》

 
《よもやま話41~60へ》

このサイトに記載のある全てのテキスト、及び画像等の無断転載を禁じます。
copyright(C)2010眠りねずみ

メールはこちらまで

inserted by FC2 system